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小笠原引退 鹿島の闘将決断 常勝軍団象徴、復興も支援

[ 2018年12月28日 05:30 ]

現役引退することを発表した鹿島の小笠原
Photo By スポニチ

 鹿島は27日、元日本代表MF小笠原満男(39)が現役引退することを発表した。クラブ関係者によれば今月のクラブW杯(UAE)期間中に引退の決意を固め、23日の最終日にチームメートに報告。クラブの中心となって常勝軍団を築き上げ、在籍中に17個もの主要タイトルをもたらした主将が、静かにスパイクを脱ぐ。

 常勝軍団を象徴する主将が、丸21年の現役生活に終止符を打つ決断を下した。クラブを通じ「鹿島アントラーズという素晴らしいチームでここまでプレーでき、鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とてもうれしく、そして誇りに思います」とコメントを発表した。

 引退の決意を固めてクラブに切り出したのはクラブW杯期間中。最終戦のリバープレート戦翌日の23日夜、最後の夕食の席でチームメートに伝えた。大会後まで黙っていたのは「フェアな勝負をしたかった」から。引退が伝われば“温情”で出場機会があるかもしれない。それを避けた。勝利にこだわる男らしく、同僚との“勝負”にも、最後までこだわった。

 いつかピッチ上でチームに貢献できなくなった時は、チームのために身を引こうとずっと心に決めていた。ケガを負っても「肉を食えば治る」と放った言葉は有名。その丈夫な体が今季は悲鳴を上げた。膝に水がたまり激痛が走った。ただ試合の出場はできた。だから決して膝は引退理由でない。今季はJ1で14試合の出場。主力だった16年に比べれば半減していた。小笠原にとっては、試合で貢献できなくなった今が、退く時だった。

 中田浩二氏、GK曽ケ端、MF本山(現J3北九州)らと同期で98年に入団。J1歴代6位の525試合に出場した。鹿島では主要タイトル20冠のうち17冠に貢献。獲得数は曽ケ端と並んで日本一を誇る。代表では同学年の稲本、遠藤、高原らと黄金世代を形成。99年U―20W杯準優勝を経て一時代を築いた。06年2月のフィンランド戦で決めた約60メートルの日本最長ゴールは伝説となっている。

 岩手出身で、11年東日本大震災以降は、復興支援にも尽力してきた。関係者によると今後はしばらく休暇を取る。詳細は未定だが、鹿島としてはレジェンドに対し、何らかのポストを用意する予定という。近日中に会見を行い、改めて自らの口で経緯を説明する。

 ◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)1979年(昭54)4月5日生まれ、岩手県出身の39歳。大船渡高から98年に鹿島入り。06年8月にメッシーナ(当時セリエA)へ期限付き移籍し、翌年鹿島へ復帰した。Jリーグでは6度ベストイレブンに輝き、09年には最優秀選手賞(MVP)受賞。02年3月の国際親善試合ウクライナ戦でA代表デビュー。02、06年W杯出場。J1通算525試合69点。国際Aマッチ通算55試合7点。1メートル73、72キロ。利き足は右。

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2018年12月28日のニュース