×

柴崎“らしく”デビュー弾!22歳の司令塔 技ありボレー

[ 2014年9月10日 05:30 ]

<日本・ベネズエラ>後半21分、ゴールを決め、本田らに祝福される柴崎

親善試合 日本2―2ベネズエラ

(9月9日 日産スタジアム)
 新時代の到来を予感させるような一撃だった。1―1の後半22分。左サイドを突破した岡崎のクロスに本田と武藤が飛び込む。その背後から走り込んできたのは背番号「7」柴崎だった。タイミング良く右足を合わせたボレー弾。ボールは左ネットに突き刺さった。

 「味方が走り込んで引き付けてくれた。(クロスが)通ればチャンスになると思っていた。良いところに上げてくれたし流し込むだけだった」

 ゴール前に走り込むランニング力、難しいバウンドのボールをダイレクトで蹴る技術。日本代表では13年7月、東アジア杯中国戦での柿谷、工藤(柏)以来、28人目となるAマッチデビュー戦ゴールは、“らしさ”が凝縮されていた。

 柴崎自身が「ハーフタイムに監督から指示があったし、アクティブに動けたのは後半」と話す通り、前後半での動きが見違えた。前半はボールに触る機会が少なかったが、後半はより前めのポジションを取ることで攻撃に積極的に絡んだ。特に得点後は柴崎を中心にビルドアップを展開。それは本田や吉田らW杯組に認められた証でもあった。

 悔しい思いでW杯ブラジル大会を見ていた。昨年の東アジア杯でA代表に選出されたが急性胃腸炎で辞退。柿谷や山口らがチャンスをつかむ中、最後の最後まで声は掛からなかった。フラットな視点で見たというブラジルの熱戦。「自国を背負う責任感を感じた。能力差はあっても、気持ち的な部分が一番大事になる」と痛感した。ある意味、今合宿は「今まで芽生えていない感覚を芽生えさせる」期間でもあった。

 「ホームで勝てなかったのが残念。10月にも試合があるので、その時は勝ちたい」。試合後は自らの得点を喜ぶよりも、引き分けに終わった結果を悔しがった。その姿にデビュー直後の初々しさはない。自覚、責任…。中田、遠藤がつけた背番号7を背負う22歳は、早くも主力の風格すら漂わせていた。

 ◆柴崎 岳(しばさき・がく)1992年(平4)5月28日、青森県上北郡野辺地町生まれの22歳。野辺地SSS―青森山田中―青森山田を経て11年に鹿島入り。11年4月29日の福岡戦でデビュー。J1リーグ100試合出場8得点。12年Jリーグベストヤングプレーヤー賞、12年ナビスコ杯MVP受賞。1メートル75、64キロ。利き足は右。

続きを表示

2014年9月10日のニュース