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小原、金で引退 壮絶レスリング人生はハッピーエンド

[ 2012年8月10日 06:00 ]

笑顔でスタンドに手を振る小原日登美

ロンドン五輪レスリング

 最後は「両目のコンタクトが外れていて」時間も見えていなかった。スタンドから起こるカウントダウンも、小原の耳には入っていなかった。ブザー、そしてガッツポーズ。膝から崩れ落ち、マットを2度、3度と叩くと、両手で顔を覆った。

 決勝の相手は妹・真喜子(現姓・清水)に引導を渡したスタドニク。第1ピリオドは4失点し完敗した。だが第2ピリオド、最終ピリオドと相手にポイントを許さず連取。鬼気迫る執念が逆転勝利を呼んだ。

 00、01年と世界選手権51キロ級を連覇。しかし、01年、アテネの正式種目となった女子は4階級だけだった。48キロ級に落とせば妹との戦いは避けられない。選んだ55キロ級で02年、全日本選手権は吉田沙保里にフォール負け。「強くない自分には価値がない」。うつ病に追い込まれた。過食で体重は70キロを超えた。

 両親の懸命な介護で1度目の復帰。それでも吉田には勝てなかった。08年、2度目の引退。だが09年、引退を決意した妹から「日登美にロンドンへ行ってほしい」と頼まれ、夢がよみがえった。「あの日から私のロンドンへの道が始まった。2人で追いかけてきた五輪の夢が、ようやくかなった。この金メダルは姉妹2人で獲ったものです」

 10年10月に結婚した夫の康司さんがスタンドから駆け寄ると、跳びはねて喜んだ。日本を離れる前にもらった手紙に書いてあった「五輪には魔物はいない」の言葉が、最後まで小原を支えた。03年に手術した膝や、肩、腰はもう限界。3度目の復帰は、もうない。「これからは普通にごはんを作って、普通の生活がしたい」。壮絶なレスリング人生をハッピーエンドで締めた小原には、次の章が待っている。

 ◆小原 日登美(おばら・ひとみ)1981年(昭56)1月4日、青森県生まれの31歳。八戸工大一高から中京女子大(現至学館大)を経て自衛隊。旧姓・坂本。非五輪階級の51キロ級で6度の世界選手権優勝。55キロ級で狙った五輪出場を逃し、08年に引退したが、ロンドン五輪を目指して48キロ級で一昨年に現役復帰。世界選手権で2連覇を達成した。10年10月に高校の1年後輩の康司さん(30)と結婚。1メートル56。

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2012年8月10日のニュース