谷口キヨコ “陽性”で自宅療養…ほんまもんの「孤独」が何かを初めて分かった気がします

[ 2023年12月12日 13:30 ]

高熱で寝るしかないときに、この顔でずっと寄り添ってくれてた銀次郎くん。これは…心配してる顔なのかな
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 【谷口キヨコのごきげん!? SOLOライフ】実は私、今さらの陽性さんでした…。もう復帰したのですが、その時に感じたことがあります。

 発症当日はかなりの高熱で何かを感じたり考えたりすることもできなかったのですが、2日目からは熱も少し下がり、思考や感情が戻ってきました。そうなると、寂しい…。やっとこさカーテンを半分開けて外の雰囲気を感じてみても、余計寂しい。世の中から自分だけ取り残されてるみたいで、なんとも寂しい…孤独でした。

 5日間休んだぐらいで何を大げさな、と今となっては思うのですが、その時は本当に孤独だったんです。「ほんまの孤独ってこのことか…」と思いました。これまで感じてた孤独とはまた違うんです。

 孤独って、単に1人でいることもそうなのかもしれませんが、実は自分が社会に参加してない、できないと感じることではないかと思いました。そういう意味で、自分はこの世にたった一人だ、と感じること。

 玄関の前にお供えみたいに食べるものをたくさん置いていってくれて、他にも「行こうか」といってくれる人がいて。こんなにありがたいことはなかったです。だから厳密にいえば、私は「一人ではない」のですが、彼らはあくまで元気な人で、その人の仕事や家族もあるし…とにかく元気な人だから自分の意志で何でもできるんです。

 でも、病人には(特に外に出てはいけない場合や、入院してる場合)そんな自由はありません。自分の意志で何かをできないことの辛さ、不自由さ。やりたくてもできないこの体。それはいくら家族でも、元気な人とそうでない人というのは、大きな隔たりがあるのではないでしょうか。

 たった一人でいても、誰かに会いに行ったり、行きたいところに行ける自由。そこに行けば新しい出会いもあるかもしれません。自分が求めれば手に入る状況と、求めることさえできない状況は全く違います。社会から一人取り残されたような感覚がほんまもんの「孤独」なのか、と経験して初めて分かった気がしました。

 よく考えてみれば、これは病人に限らないですよね。何らかの原因で、自分は社会から取り残されたと感じる時。感じる状況。世界には、日本には、こんなにたくさん人がいるのに、自分はたった一人だと感じるあの怖さ。

 私は病気が治って、その『孤独』からは解き放たれましたが、今も『孤独』の中に沈んでいる人はたくさんいると思います。どんな人でもその闇にすぐに陥ってしまう恐れのあるこの社会。自分が自分でいられる居場所があり、それが社会とつながっている場であること。年齢やジェンダーや、健康だったり、病気やったり、そんなこと全部含めて許容され、やはりその人自身であることができる場所。リアルはもちろん、オンラインでもそんな場所があれば、その『孤独』は薄まるのかもしれません。

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