節分に思う 「鬼の鬼沢」さんはじめ大御所リポーターのこと

[ 2022年2月3日 15:30 ]

芸能リポーター時代、梅宮辰夫さん(右)にマイクを向ける鬼沢慶一さん
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 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】JR宇都宮線の車内で加熱式タバコを吸っていた飲食店従業員・宮本一馬容疑者(28)に注意した高校2年生の男子生徒が殴られてケガを負う事件が起こったのは1月23日。思い出したのは、芸能リポーターの草分けだった鬼沢慶一さんに降りかかった災難のことだった。

 あれは2000年8月のこと。電車の優先席に座っていた若者2人に「子どもに譲ったら」と注意したのを逆恨みされ、電車を降りた後に暴行を受けて右手中指を骨折するなど全治3カ月の重傷を負った。

 正義感も強かった鬼沢さんだが、昨年9月5日、老衰のため89歳で亡くなっていたことが年明けの1月12日に明らかになった。雑誌やスポーツ紙を経て、芸能リポーターになる人は少なくないが、青山学院大学を57年に卒業した鬼沢さんも出発点はスポニチ。その後、報知新聞で記者として活動し、1971年からTBSのワイドショー「モーニングジャンボ」でリポーターに転身した。

 「3時にあいましょう」(TBS)や「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)などを拠点に活躍。渥美清さんの結婚をスクープして結婚式にも友人代表として呼ばれるほどの信頼関係を結んだりする一方、芸能人のスキャンダルに飛びつき、「鬼の鬼沢」の異名も取った。

 70~80年代に活躍したリポーターで彼岸に渡った人は少なくない。いわゆる大御所、パイオニアたちだ。「恐縮です」のフレーズでおなじみだった梨元勝さんは2010年8月21日に65歳で、福岡翼さんは19年4月20日に79歳で、須藤甚一郎さんは20年8月11日に81歳で逝っている。

 福岡さんはよく映画会社の試写室でお見かけし、後に目黒区議として活躍した須藤さんとはいっとき最寄り駅が一緒。訃報を聞いた時は余計さみしさが込み上げてきた。

 そういえば、梨元、福岡、須藤の3氏は澤井信一郎監督の映画「Wの悲劇」(84年公開)にリポーター役で出演していた。梨元さんは滝田洋二郎監督(66)の「コミック雑誌なんかいらない!」(86年公開)にも顔を出していた。

 インターネットはおろか、携帯電話も普及していない時代。シビアなスクープ合戦が展開された、あの時代が懐かしい。情報は足で稼ぐしかなく、張り込みも連日。どれだけ人脈を築けるかが勝負の分かれ目で、スポーツ紙の芸能記者とリポーターもライバル関係にあった。

 今は一億総リポーター時代といって過言ではないくらいにネット上に情報があふれている。もっとも、どれが正しくて、どれがフェイクかを見極めなければならない難しさはあるが、コロナ禍が拍車をかけてリポーターが活躍する場は少なくなっている気がする。

 井上公造さん(65)も体調不良を最大の理由に3月いっぱいで一線を退くと聞く。講談師の神田伯山(38)が「講談は絶滅危惧職」と危機感を募らせていたことがあったが、芸能リポーターという職種も残念ながらやがて消えゆく運命にあるのかもしれない。

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2022年2月3日のニュース