ノムさん、テレ朝「野村スコープ」で革命 84年初登場、野球解説に予測導入

[ 2020年2月12日 05:30 ]

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ストライクゾーンを9分割した「野村スコープ」で野球解説に革命を起こした野村さん
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 野村さんはプロ野球中継に革命を起こした人でもあった。テレビ朝日の解説者だった1984年から画面に登場したのが「野村スコープ」。ストライクゾーンを画面上に表示して、投手の配球を予測するものだった。後にゾーンを9分割したものに改良され、今では同様のシステムが海を越えて大リーグの中継でも使われている。

 一緒に生み出したのが中継ディレクターだった稲田利之氏(74)。83年から同局解説者だった野村さんに、同年のシーズン後に「内容を変更して他局と違うものにしたい」とストライクゾーンの表示を提案した。「ノムさんのスコアブックには細かくいろいろなことが書いてある。これを生かしたいと思った」と振り返った。

 84年に導入し、野村さんが投手と捕手の目線から配球を予測。「ここに投げたら打たれますよ」などと予想するとズバズバ的中した。「映像が見にくくなる懸念もあったが視聴者の反応は良好。ノムさんも楽しみながらやっていたし、ファンが“俺はこう思う”と試合に参加できることも良かった」(稲田氏)。結果を解説するのではなく、予測するという新たな解説者の役割も定着させた。

 85年から中継を担当した同局役員待遇の三雲薫氏は「野村さんはメディアを使って野球界を改革しようとした人」と印象を語った。「“野球は頭を使ってやるものだ”と知らしめたかったと思う。その裏には長嶋茂雄さんへのコンプレックスもあったはず。選手として実績を残しているのに、みんなが“長嶋、長嶋!”という時代だった。負けたくないと、物凄く野球を勉強されていた」

 その後、ヤクルトの監督としてデータ重視の“ID野球”で球界を席巻。申し子の古田敦也氏の活躍もあり、捕手の評価方法も変化した。三雲さんは「当時のドラフトでは捕手のインサイドワークなんてものは評価対象ではなかった。重要性を野村さんが伝えたことで、リード面もスカウトの評価ポイントになった」と説明した。

 監督時代の報道陣の使い方も巧みだった。思ったことを選手に直接言わず、記者にボヤいて漏らす。代理で選手に伝えていた三雲さんは「選手は喜ぶんですよ。“そんなに僕のこと見てくれてたんだ”って」。人心掌握術にもたけていた。

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