没後50年!スポニチと市川雷蔵

[ 2019年6月22日 08:00 ]

映画「眠狂四郎」で主演した市川雷蔵
Photo By 提供写真

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】1959年(昭34)6月25日、後楽園球場でプロ野球初の展覧試合が行われた。ちょうど60年前の出来事だ。「巨人―阪神」の黄金カード。ミスターG長嶋茂雄がタイガースのエース村山実からサヨナラ本塁打を放ち、5対4で勝利を飾った。

 翌日のスポニチも1面2面を使って大々的に詳報。「梅雨空も映ゆ、ご観戦」「劇的な幕切れ」「長嶋、サヨナラ13号」などなど、見出しも躍っている。

 同じ日の芸能面に興味深い連載記事が載っていた。「雷蔵放談 寄らば切るぞ」と題したコラムで、ちょうど30回目の最終回を迎えていた。筆者はご存じ、俳優の市川雷蔵。前年の58年に公開された「炎上」(監督市川崑)の演技で、ブルーリボン賞やキネマ旬報の主演男優賞をさらい、勝新太郎と並ぶ大映の「二枚看板」に成長。「勝」と「雷」で「カツライス」と呼ばれてファンに愛された。

 最終回は「作家はだしの才能を持った役者」をテーマに熱筆。高峰秀子や水谷八重子(先代)、花柳章太郎らを例に引き、随筆家としても優れていると感想を述べている。

 雷蔵、27歳の時の連載だ。ちなみに次は東映の時代劇スター、東千代之介が登場と予告がしてある。豪華リレーに当時の先輩記者たちの気合いの入り用がしのばれる。

 雷蔵といえば、63年に始まった「眠狂四郎」シリーズが代表作の1つ。円月殺法をひっさげたニヒルな剣豪は映画やテレビドラマで他にも何人かの俳優が扮したが、やはり雷蔵にトドメを刺す。

 病に倒れ、69年7月17日に37歳の若さで永遠の眠りについた。今年は没後50年の節目。8月に都内の劇場で「市川雷蔵祭」が開催され、その後、全国に展開する予定だ。

 さて、「眠(狂四郎)」ではないが、こちらは「居眠り」が問題となった。防衛省が陸上自衛隊新屋演習場(秋田市)への配備を検討している地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」を巡り、6月8日に秋田市内で開いた住民説明会で、東北防衛局職員がうとうとして批判を浴びた一件だ。

 岩屋毅防衛相は「大変申し訳ない。極めて大事な説明の場で緊張感を欠き、不適切だった」と謝罪したが、後の祭り。国会中継などを見ていても、舟をこいでいる政治家の姿がときどき目に入ってくる。うたた寝が気持ちいいのは理解出来ても、仕事中はしゃきっとしていてもらいたい。

 黒澤明監督にも「悪い奴ほどよく眠る」という作品があった。土地開発公団とゼネコンの汚職を描いた60年公開の1本。居眠りも時と場所をわきまえなければ、「悪い奴」のレッテルを張られかねない。

続きを表示

2019年6月22日のニュース