趣里 失意の帰国から女優へ 支えた言葉は恩師の「大丈夫だから」

[ 2016年10月15日 17:19 ]

今後の飛躍が期待される趣里
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 11年のTBS系ドラマ『3年B組金八先生ファイナル〜「最後の贈る言葉」4時間SP』で女優デビューしてから、早や5年が過ぎた趣里(26)。今年はNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で朝ドラに初お目見え、10月29日には詩人でもある福間健二監督の映画「秋の理由」が公開される。4歳からクラシックバレエの道へと進み、15歳で本場イギリスに留学。ところがアキレス腱断裂と足首の剥離骨折という災難に見舞われる。そんなどん底に希望の灯をともしたのが、ある人物からの“贈る言葉”だった。

 「バレエダンサーに自分はなるものだとずっと思って生きてきたので、自分の置かれている現実と向き合うことができませんでした。朝起きた時に足が痛いということも信じられず、とにかく毎日のように泣いていました」。だが泣いてばかりではいられない。帰国後は大検をとり、大学に進学した。が、バレエへの未練を断ち切ることはできず、リハビリをしながら一心不乱に練習に打ち込んだ。しかし練習すればするほど、以前のように踊れていないことは、自分自身が一番よくわかった。

 「留学も含めてここまでやらせてもらってきたので、バレエを辞めることに対する申し訳なさもあった。でも体は以前とは違う。これからどうしたらいいのだろうか?という絶望しかなく、死んだ方がましだと思っていました。極限の精神状態でしたね」。表現の世界から無理矢理自分を引き離そうと、就職活動をしたり、アルバイトも経験したが、やはり何かが違う。そんな時に出会ったのが、俳優の故塩屋俊さんが主宰を務める俳優養成所アクターズクリニックだった。当初は「バレエの経験が活きれば……」との軽い気持ちだったが、レッスンを重ねていくうちに演技の面白さに目覚める。

 特に塩屋さんの存在は大きかった。趣里の両親は俳優の水谷豊と女優の伊藤蘭。ゆえに「女優をする以上、私はどうしても“二世”と言われてしまう」。しかし塩屋さんは「それに対する苦労や乗り越えなければいけない壁がたくさんあることを理解してくれて、ことあるごとに“でもお前は大丈夫だから頑張れ。女優を続けていけ”と言い続けてくれた」。その言葉は今でも心の支えになり、背中を押してくれる。

 両親からは「自分のことはすべて自分で決めなさい」と育てられてきたため、自らの手でプロの女優になるべく舵を切り、数多くの舞台や映画、テレビドラマに出演。地道に経験を積み、デビューからの5年はあっという間に過ぎた。映画「秋の理由」では、60代のベテラン俳優・伊藤洋三郎と佐野和宏を相手に不思議な少女を熱演。表現する舞台は違えど、今では芝居の中でバレエを披露する機会も増え、これまでの人生に無駄はなかったと実感する。

 塩屋さんは2013年に56歳の若さで急逝したが「賞にノミネートされたり、いい役を頂けたときは必ず報告しています。自信を持たせてくれたのは塩屋さんですから、ことあるごとに報告しているんです。今も空から私の活躍を見てくれているはず」と、失意の帰国で濡らした瞳は、自信に満ちている。道は一つではない。それを教えてくれた恩師の存在と言葉を胸に、女優として日々成長し続ける。(石井隼人)

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