佐村河内氏 ウソの18年「輝いてなかったな」も全ては新垣さんになすりつけ

[ 2014年3月8日 05:35 ]

口をへの字にして会見に臨んだ佐村河内守氏

佐村河内氏 一問一答(6)

 ――人生で一番輝いたと思う瞬間は?

 (目を閉じて1分ほど長考)輝いてなかったな、と思います。しょせん、心の奥底ではウソなので。

 ――心から楽しいと思える時は?

 正直に言います。ツアーで行っても、自分が聞こえてないのにほめられる。皆さんがステージに上がり喜んでくださる姿を見るときは幸せです。

 ――どん底は?

 いまです。

 ――損害賠償の予定は?

 はい、あります。もちろん。賠償の意思は(関係各所へ)伝えている。

 ――指示書に書かれた「現代典礼」のタイトルを「HIROSHIMA」に変えたことに新垣氏は驚いていた。

 新垣さんは、作ってくれたときに(曲に)全く興味を示してくれなかった。仕事し始めの頃は筆談でお願いし、その後は口話でゆっくりしゃべってもらった。分からないところは「もう一回お願いします」と何百回も言ってきた。(耳は聞こえているという)あの発言はありえない。

 ――被爆者を利用したのでは?

 断じてありません。

 ――広島の小中高時代の友人が経歴に疑念を抱いているが?

 そう思われても仕方ない。自伝本には幼少期の思い出が克明に書かれている。あれは新垣さんから、どのような凄い経歴を示せば凄いように見えるかを教えてもらった。新垣さんが本の構成に関わっていた。

 ――新垣さんのせいにされるのか?

 はい。

 ――楽譜見て音が浮かぶ?

 ほとんど浮かばない。公演のリハーサルに立ち会うと、突っ込んだ質問をされるので立ち会わなかった。

 ――テレビでの壮大なストーリーは?

 NHKに関しては私の指示が具体的に多かったというものではないが、過剰な演出です、すみません。(友人として付き合ってきたディレクターの)彼は誠実にリクエストに応えてくれた。NHKの方がいま大変な思いして、やり玉に挙げられている。6年続いた友情も、やっぱり耐えきれなくなった。彼から「自分の罪を知れ。さようなら」と言われた。

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