川内康範氏が死去…政治にも影響力

[ 2008年4月8日 06:00 ]

死去した川内康範さん

 「月光仮面」の原作者で「おふくろさん」などの作詞で知られる作家の川内康範(かわうち・こうはん、本名潔=きよし)氏が6日午前4時50分ごろ、青森県八戸市内の病院で死去した。88歳。北海道函館市出身。死因は公表されていないが、2カ月前から肺炎で入院していた。昨年2月に森進一(60)に自作曲の歌唱禁止を通告した“おふくろさん騒動”が起きた一方、薬害肝炎問題で苦慮する福田康夫首相に助言するなど歴代総理のブレーンとしても知られた。

 他界した6日。安らかに眠る川内さんの遺体のそばでは、線香の代わりに大好きなたばこが何本も立てられた。
 親交が深かった作曲家の三佳令二氏(79)もスタッフから「どうか火をつけてあげてください」と言われ、2、3本のたばこに火をつけて供えた。「穏やかな顔をされていました。ただ、酸素吸入のあとが残っていて、それは痛々しかった」。
 おふくろさん騒動で森をどなりつけるなど意気軒高だったが、2月初めに持病の肺炎をこじらせて緊急入院。肝炎も併発していた。一時、集中治療室から個室に移るほど回復したが、先週末に悪化。帰らぬ人となった。
 8日、八戸市内で密葬が営まれる予定。各界に広い人脈を持った傑人。密葬後「しのぶ会」を検討する。
 遺作は、1月中旬にレコーディングした日吉ミミ(60)の「恋人さん」(発売日未定)。録音にも立ち会い、作曲した三佳氏によれば「とても元気だった」という。歌入れができていない未発表作品はまだあり、米国人のクリスティーナ夫人をテーマにした「かみさん」を書き上げ、歌が吹き込まれるのを楽しみにしていたという。その夫人も体調を崩している。
 「月光仮面」の生みの親であり、作家、作詞家、評論家などいくつもの顔を持ち、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、竹下登ら歴代首相との交友でも知られた。昨年末には薬害肝炎訴訟の対応に苦慮する福田康夫首相と極秘に面会。原告団にもっと温かく手を差し伸べるよう助言し、首相と原告団代表との面会が実現した。
 原点は、戦後すぐに行った戦没者の遺骨引き揚げ運動。06年に本紙がインタビューした際も人生の哲学を「借無上道(しゃくむじょうどう)」、無償の愛だと語り、経済本位、金権主義への警鐘を2時間以上にわたって熱く説いていた。
 頑固な一方で、気さくな一面もあった。「長寿の印、達磨(だるま)大師にあやかって伸ばした」という長い耳毛を女性アナウンサーが「触らせてください」と懇願した際には、笑顔で「いいよ」と快諾し耳を向けたこともあった。

 川内 康範(かわうち・こうはん)  1920年(大9)2月26日、北海道函館市生まれ。41年に戯曲「蟹と詩人」、小説「おゆき」で作家デビュー。58年に原作・脚本の「月光仮面」が大ヒット。作詞家としては第2回日本レコード大賞(60年)の大賞受賞曲「誰よりも君を愛す」をはじめ、ヒット曲多数。84年の「グリコ・森永事件」では犯人グループの「かいじん21面相」に「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかけ、「わしらも 月光仮面 見たで おもろかった」と返事をもらい話題になった。92年に勲四等瑞宝章受章。

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2008年4月8日のニュース