仁志敏久氏 今だから話せるトレード裏話「原さんも清武さんも…」激動の06年を振り返る

[ 2024年5月16日 07:00 ]

移籍会見後に清武英利球団代表(左)と握手をかわす仁志敏久内野手 (2006年撮影)
Photo By スポニチ

 巨人、横浜(現DeNA)で活躍し、通算1591安打を放った仁志敏久氏(52)が、16日までに更新された槙原寛己氏のYouTube「ミスターパーフェクト槙原」に出演。トレード移籍にまつわる裏話を披露した。

 仁志氏は2006年オフに、トレードで巨人から横浜に移籍。槙原氏から「トレードに出してくれって言ったでしょ、最後は」と聞かれた仁志氏は「球団と話しました。清武さんと」と当時の清武球団代表と会談したことを明かした。

 さらに仁志氏は「その年の春先からトレード話はあったんです」と振り返る。当時は出場機会が徐々に減っていた年。「今だから言いますけど、オリックスが。中村勝広さんがGMだったんです。早稲田の出身で」と、早大の先輩でもあるオリックス・中村GMが、仁志氏をトレード候補として目を付けていたという。

 当時の巨人は原監督。「原さんも清武さんも“お前が行くって言った方を支持する”と。断っても、行ってもどちらでもいいと言ってくれた」と仁志氏に判断を委ねたが「シーズン中に僕が出ることによって、“なんで出したんだ”となるとマズいなと思った」と当時の心境を明かし、「シーズン中はやめておきます」と結論を球団に伝えた。

 ただ、その後も出場機会が増える見込みがなく「ジャイアンツが使わないのは分かっていたので」と若返りを図る方針を理解して、再び球団と会談。「シーズン終わりにベイスターズから話が来て。球団に話をして、出してください」と今度はトレード移籍をお願いした。

 06年は64試合出場で1本塁打、7打点と自己ワーストの成績。「目(の衰え)もあると思うが、体の可動域とか動きが鈍いんです」と打撃不振に悩み、「環境を変えれば、と思って」とトレード移籍に活路を求めた。その後、横浜で3年プレー。槙原氏が「良かったんじゃない?結果も出たし」と話すと、仁志氏も「そうですね」と答えていた。

続きを表示

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2024年5月16日のニュース