松坂 今の自分に声を掛けるなら?「もう十分。もう十分やったじゃん。長い間お疲れさま」

[ 2021年10月20日 05:30 ]

【西武・松坂大輔投手引退試合】パ・リーグ   西武2-6日本ハム ( 2021年10月19日    メットライフD )

涙ぐむ松坂(撮影・尾崎 有希)
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 西武の松坂大輔投手(41)が19日、引退試合となった日本ハム戦の登板前の会見では家族への感謝を語る際に涙を流した。

 【引退会見 松坂に聞く(2)】

 ――松坂投手にとって野球とは?
 「5歳ぐらいから始めて35年以上。僕の人生そのもの。本当にたくさんの方々に出会えて助けてもらって、ここまで生かされてきたと思う。本当に感謝している」

 ――野球への思いが揺らいだ時は?
 「野球を始めた頃と変わらない野球の楽しさ、好きだという気持ちが消えないように戦っていた時期はある。どんなに落ち込んでも、最後にはやっぱり野球が好きだ、まだまだ続けたいと。後半はいつその気持ちが消えてもおかしくなかった。野球が好きなまま終われて良かった」

 ――松坂大輔のボールだと自信を持って最後に投げられたのは?
 「08年ぐらい。5月か6月、オークランドでロッカーからブルペンに向かう途中で足を滑らせて右肩を痛めた。そこからは肩の状態を維持するのに必死。フォームが大きく変わったのは09年ぐらい。痛みが出ないような投げ方を探し始めた。その時には自分が追い求めるボールは投げられていなかった」

 ――松坂世代と呼ばれた。
 「本当にいい仲間に恵まれた。松坂世代と呼ばれることはあまり好きではなかったが…。自分の名前がつく以上、その世代のトップでなければいけない。それがあったから最後まで諦めずにやってこられたと思う」

 ――残りはソフトバンクの和田。
 「最後の一人になった毅には、僕の前にやめていった選手たちが僕らに託していったように、まだまだ投げたかった僕の分も投げ続けていてほしい」

 ――登板の際に心掛けてきたことは?
 「23年間、あまり自分の状態が良くなくて、投げたくない、できれば代わってもらいたいと思う時期もあった。やっぱり最後は逃げない、立ち向かう、どんな状況も全て受け入れる、自分に不利な状況もはね返してやる。マウンドに立つその瞬間は、必ずその気持ちを、覚悟を持って立つようにしていた」

 ――やり残したことは?
 「ライオンズに入団した時に東尾さんに200勝のボールを頂いたので、自分自身が200勝して、お返ししたかった」

 ――今の自分に声を掛けるなら?
 「もう十分、もう十分やったじゃん。長い間お疲れさまって言いますね」

 ――家族からねぎらいの言葉は?
 「もうそろそろやめるかもねって話した時は喜んでいた。子供たちは遊ぶ時間が増える、うれしいって言っていたけど、実際に報告した時はみんな泣いていた。感謝の気持ちと同時に申し訳ないなという気持ちがあった」

 ――家族が支え。
 「妻と結婚してもらう時も批判の声だったり、叩かれることもあると思うけど、自分が守っていくからと言って結婚してもらった。それができなくて申し訳なかった。妻は関係ないところで叩かれたりすることもあって大変だったと思う。そんなに気持ちの強い人ではなかったので迷惑掛けたと思うし、サポートしてくれて本当にありがとうございました、と改めて言いたい」

 《「原点」は98年夏のPL戦》引退会見で自身の「諦めの悪さを褒めてあげたい」と印象的な言葉を残した松坂。その原点に横浜高3年だった98年夏の甲子園でのPL学園戦を挙げた。両チームは準々決勝で対戦。試合は延長17回の大熱戦となり、先発した松坂は250球を投げ抜いた。「諦めなければ最後に報われると、それを強く感じさせてくれた」。13安打7失点ながら9―7で勝利し、決勝の京都成章戦ではノーヒットノーランで全国制覇。怪物伝説の幕開けにもなった大会だった。23年前のあの夏。全国のファンに感動を届けた松坂は「あの試合があったからですかね。最後まで諦めなければ報われる、勝てる、喜べる。あの試合が諦めの悪さの原点だと思います」と遠い目をして話した。 

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