【内田雅也の追球】懸命と必死がぶつかった「敗者なき試合」 阪神、今季初の引き分け

[ 2021年5月6日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2ー2ヤクルト ( 2021年5月5日    神宮 )

<ヤ・神(7)> 5回1死一、二塁、元山の二ゴロで併殺を狙った糸原のトスは緩いものとなる(撮影・大森 寛明)
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 阪神の2失点には、いずれも二塁手のわずかな守りの乱れがからんでいた。いや、乱れと書くのは酷だ。精いっぱいのプレーだったろう。

 5回裏1死一、二塁で二ゴロ4―6―3併殺が奪えなかった。糸原健斗のトスが緩んだのだ。残った2死一、三塁で山崎晃大朗に右前打された。

 8回裏は2死三塁から青木宣親の二塁寄りゴロを好捕した中野拓夢の一塁送球がそれて内野安打となり、同点を許した。

 中野はこの回、遊撃手から二塁手に移った直後だった。阪神のシフト変更で評論家陣が「遊撃と二塁は全く違う」との指摘からすれば、難しい守りだったかもしれない。

 ただ、糸原も中野も懸命にプレーした結果である。相手の必死さが勝ったのだと理解している。山崎は初回に糸原の右中間寄り飛球を飛び込んで捕っていた。青木は一塁へ倒れ込んでセーフを奪った。今季阪神に6戦全敗だったヤクルトの闘志を見た。

 同点を許した岩崎優にはねぎらいの言葉を送りたい。連日厳しい場面でよく投げていた。10試合ぶりの失点だが、こんなこともある。

 南海(現ソフトバンク)の救援右腕・佐藤道郎は1973(昭和48)年6月2日、阪急(現オリックス)戦(西宮)で延長11回裏、長池徳士にサヨナラ本塁打を浴びた。自身、登板3試合連続でサヨナラ被弾だった。それでも中2日で5日の太平洋(現西武)戦(大阪)に登板し、8、9回を零封し、1点リードを守り切っていた。

 76年に阪神から南海に移籍した江夏豊は厳しい場面で登板する佐藤の姿に「リリーフ投手がピンチでマウンドに立つのは八百屋が白菜を売るようなもの」と悟った。玉木正之『プロ野球大事典』(新潮文庫)にある。

 後に自身が救援に転向した江夏はマージャンで気分転換していた。<救援に失敗したとき、野球から解放される>と著書『エースの資格』(PHP新書)に記した。

 岩崎もしばし野球を忘れ、次に備えてほしい。監督・矢野燿大は何ごともなかったように起用することだろう。信頼は揺るぎない。

 結果は阪神にとって今季初めての引き分けだった。アメリカ人は「引き分けは妹とのキスのようだ」などと言う。「ちっとも興奮しない」「味気ない」という意味である。

 大リーグには引き分けがない。勝敗が決するまで戦う。阪神のクレイグ・ブラゼルがサヨナラ打を放った時にも口にしている。2011年5月31日、ロッテ戦(甲子園)だった。

 一方で「引き分けは日本人に適している」と語ったのは1987―90年とパ・リーグ会長を務めた堀新助だった。「(好試合は)どちらにも勝たせてやりたいと思う。引き分けには、その望み通り、敗者が存在しない」

 この日はそんな試合だったと言えるだろう。両軍の必死さで手に汗握る興奮シーンもあった。敗者なき試合だった。=敬称略=(編集委員)

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2021年5月6日のニュース