日本ハムドラ2・五十幡 名字にちなみ背番号「50」“サニブラウンに勝った男”シーズン50盗塁は通過点

[ 2020年12月14日 05:30 ]

中大時代に通算26盗塁をマークする快足が売りのドラフト2位・五十幡
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 日本ハムの新入団発表が13日、23年に新本拠地「エスコンフィールド北海道」が誕生する北広島市の市役所で行われた。ルーキー8選手は会に先立って球場建設地、さらにクラーク博士が帰国の際に「Boys,be ambitious(青年よ、大志を抱け)」の言葉を残した旧島松駅逓所を見学した。新球場に向けて「大志」膨らむ一日となった。

 「サニブラウンに勝った男」の異名を持つドラフト2位・五十幡亮汰外野手(22=中大)は、名字にちなんだ背番号「50」に決定。福本豊(阪急)のシーズン106盗塁、通算13度盗塁王のプロ野球記録更新を目標に掲げ、その足で球界に旋風を起こすことを誓った。

 規格外の韋駄天(いだてん)は、目標も桁外れ。会見前に建設中のエスコンフィールド北海道の打席予定地に足を踏み入れ、どデカい目標をぶち上げた。

 「難しいと思うけど、福本豊さんのシーズン106盗塁と盗塁王13度。本当にそれを狙っていきたい」。背番号は名字にちなんだ「50」に決定し「ちょっと予想はしていた。いい数字。“イソ”と呼んでいただけたら」と笑顔で話した。

 「世界の福本」を止めるために野村克也が考案したとされるクイック投法が確立された現代野球では、五十幡の背番号「50」盗塁でも至難の業。今季盗塁王のソフトバンク・周東も50個だ。それでも栗山監督から「野球界を変えてくれ」と使命を与えられた五十幡は「その言葉は心にきた。福本さんの記録というのは絶対に(更新)不可能じゃないかといわれているけど、不可能を可能にすることで野球界を変えていける」とキッパリ言い切った。

 中学3年時の全日本中学校陸上選手権では、100、200メートル走で現在100メートルの日本記録保持者・サニブラウンに勝利して陸上の全国大会で優勝し、日本一となった。50メートル5秒6の俊足と遠投110メートルの強肩が売りだが、大学時代に打撃も強化。不動の中堅手・西川がメジャー挑戦を目指してポスティングシステムを申請しており、後継者候補として期待されている。

 「1年目から盗塁王争いをしたい。周東さん、(ロッテの)和田さんに負けないように。球界No・1の足は五十幡だ、と言ってもらえるように努力していきたい」。アンタッチャブル・レコード(不滅の記録)の一つとされる福本の金字塔も、五十幡の快足をもってすれば、たどり着けるかもしれない。(東尾 洋樹)

 《日本記録は福本の106盗塁》シーズン100盗塁を超えたのは72年福本豊(阪急=106盗塁)だけ。福本は73年95、74年94と歴代3位まで独占している。シーズン盗塁10傑を出すと全て50~80年代に生まれたもの。日本ハムでは79年島田誠の55盗塁(47位タイ)が球団記録になっている。チームの盗塁王は13年陽岱鋼(ヨウダイカン)が第1号。以後、14、17、18年西川、15年中島と最近8シーズンで3人(5度)が獲得している。

 《名前由来背番号…関本四十四「44」、鳥坂九十九「99」、サブロー「36」、藤川球児「92」》V9時代の巨人で先発投手として活躍した関本四十四は75年に1年間だけ背番号44をつけた。近鉄投手の鳥坂九十九(つくも)は76~77年に99を背番号に。最近ではロッテのサブロー(大村三郎)が入団1年目の95年から2年間36を、阪神の藤川球児が02~04年に92をつけた。なお、マスコットではヤクルトのつば九郎が2896をつけている。

 ◆五十幡 亮汰(いそばた・りょうた)1998年(平10)11月27日生まれ、埼玉県行田市出身の22歳。東京神宮シニアでは藤平(現楽天)らとともに日本代表入り。佐野日大では甲子園出場なし。中大では東都大学リーグで1年春から主力として活躍し、2年秋、3年秋とベストナイン2度獲得。同リーグ通算73試合で打率・273、2本塁打、19打点、26盗塁。好きな言葉は全力疾走。1メートル71、67キロ。右投げ左打ち。

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