【藤川球児物語(18)】岡田監督「JFK」の革命的発想“7回は球児”

[ 2020年11月30日 10:00 ]

05年8月17日、京セラドームのお立ち台でファンの声援に応える(左から)ウィリアムス、藤川、久保田

 04年に「火の玉」にたどりついた藤川球児は、背番号を22として、ブレークの05年を迎えた。92からの変更。村山実や巨人・斎藤雅樹に少年時代憧れていただけに、10番台を希望したが、監督・岡田彰布は「大魔神(横浜・佐々木主浩)も付けとったし」と考えた。期待をしていた。

 投手コーチ・久保康生や中西清起から「今年はセットアッパー。そのつもりで開幕に向けて調整してくれ」と伝えられた。中西は高知商の先輩で、85年日本一の守護神。ブルペンでの負担をいかに軽減し、本番に集中させることに心を砕いた。周囲のバックアップを藤川も感じた。

 「昨年までは0からアピールしないといけない立場で、初日からガンガン行って、故障していた。じっくりやれるのはありがたい」と任されたことに感謝と責任を感じていた。沖縄キャンプも故障者リストに載ることはなく順調に進んだ。岡田は終盤、本紙評論家・西本幸雄との対談で、初めてJFK構想を口にした。

 「リリーフも駒がそろってきた感じやな」
 
 「そうです。中継ぎは藤川とウィリアムス。そして後ろが久保田で行きます」

 なぜ藤川―ジェフ・ウィリアムス―久保田智之の並びなのか。そこには岡田の野球観が表れていた。「ラッキーセブンという言葉が野球にはあるやろ。なんで、そう言うか分かるか」という話になったことがある。「ゲームは7回に動くことが多い。逆転が起こるのも、このあたりや」。先発からの継投となると、どうしても先発より力が落ちる投手が出てくる。相手は満を持して、代打策を仕掛けてくる。勝負どころには強い投手が必要。だから藤川――。

 久保田はスタミナもあるから、延長でも行ける。ウィリアムスは右2人の間にはさむ。まずは藤川で相手の勢いを断ち切り、勝利を確実なものにしていく。岡田の発想は、このシーズン、革命的と呼ばれることになる。 =敬称略=

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2020年11月30日のニュース