巨人・田中豊、雑草魂“継承”プロ1勝!日本ハム戦力外、トライアウトからはい上がった「リストラの星」

[ 2020年8月20日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人8―0阪神 ( 2020年8月19日    東京D )

<巨・神(9)>力投する田中豊(撮影・森沢裕)
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 巨人の田中豊樹投手(26)が19日、阪神戦で待望のプロ初勝利を挙げた。左肘痛で降板した先発のクリストファー・メルセデス投手(26)の後を継いで3回に緊急登板し、2回1安打無失点。昨年オフに日本ハムを戦力外となり、新天地では育成契約からはい上がった「リストラの星」が輝きを増した。チームは計7投手の無失点リレーで勝利。首位快走は続く。 試合結果

 「雑草魂」を受け継いだ男が日なたで咲いた。重ねてきた全ての努力が報われた。プロ5年目で手にした待望のプロ初勝利。田中豊は素直な心境を語った。

 「(巨人に)恩返ししたいという気持ちがあった。4年間野球選手として活躍できていなかったので、これがスタートと思ってやってきたのが、今日につながったと思う」

 先発のメルセデスが左肘のコンディション不良で2回降板。「(メルセデスが)よくない感じだったので、準備を早めにしていた」という右腕が3回のマウンドに立った。まさに緊急登板。肉体的、精神的にも追い込まれる状況で、その表情は泰然自若としていた。なぜか。それは堂々とした体形にしては意外な柔軟性にある。日本ハム時代の16年1月の新人合同自主トレ。大学時代に習得した股割りを披露し「股関節の柔らかさは一番、自信がある」とアピール。この柔軟性で体が温まるのも早く、右肩も含めて短時間で登板準備が可能となるのだ。

 3回は近本、上本ら上位の打者と対戦もあったが、わずか9球で3者凡退。4回2死二、三塁の場面も最速152キロの直球とスライダーで切り抜け2イニングを無失点に抑えた。

 日本ハム時代は主に中継ぎで31試合に登板も昨年10月に戦力外通告。戻ることは難しいプロの世界だが、諦めなかった。「これがラストチャンス」と12球団合同トライアウトに参加。150キロを超える直球をアピールし、育成ながら巨人との契約につなげた。

 再び1軍の舞台に戻る。強い思いを胸に臨んだ今季は自身の投球動作を一から見つめ直した。コロナ禍で開幕が延期した期間も利用して投球フォームを模索し、持ち味の直球も磨いた。2軍で10試合で1勝3セーブ、防御率1・93と結果を残し、7月26日に念願の支配下登録。原監督の「苦労人だから、いい番号をあげてくれ」という思いもあり、球団から与えられた背番号「19」はかつて上原浩治や菅野が背負った番号だ。まさかの大抜てきに「上原さんのような雑草魂ではい上がっていきたい」と力強く誓っていた。

 「(記念球は)両親に報告して実家に送ります」と田中豊。プロ1勝が目標ではない。踏まれ続けた雑草に失うものはない。(田中 健人)

 ≪“先輩”上原氏が祝福≫19年まで巨人で背番号19をつけていた上原浩治氏が田中豊のプロ初勝利に反応した。自身のツイッターを更新し「巨人、19番、田中選手。プロ初勝利、おめでとうございます」と祝福。さらに「これから、もっともっと勝っていってください!!」と背番号19の後輩へエールを送った。

 ○…巨人は7投手のリレーで阪神を完封。チームの完封試合では、14年5月31日オリックス戦(スコア1―0)の7人に並ぶ最多人数だが、前回は延長12回の試合。9回試合では17年4月19日ヤクルト戦(スコア1―0)まで3度あった6人を上回る最多人数の完封勝利になった。また、この日は日本ハムから移籍した田中豊(巨)がプロ初勝利。古巣で白星がなく巨人移籍後に初勝利は阿南徹(前オリックス)が13年10月1日ヤクルト戦で挙げて以来7年ぶり。

 ◆田中 豊樹(たなか・とよき)1993年(平5)12月1日生まれ、佐賀県伊万里市出身の26歳。波多津小2年から野球を始め、佐賀商から日本文理大に進学。2年春に救援として九州地区大学リーグ優勝に貢献した。同年夏の日米大学野球で日本代表入り。15年ドラフト5位で日本ハム入団。19年オフに戦力外通告を受け、同年11月の12球団トライアウトを経て巨人と育成選手契約。今季7月26日に支配下選手となった。1メートル80、98キロ。右投げ右打ち。

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