アナタは分かる?元NPB審判員記者の“ルールクイズ”「審判に打球直撃」常にインプレー?

[ 2020年4月17日 09:00 ]

82年日本シリーズ<西武・中日>平野の打球は一塁手・田淵(右)の脇を抜けるも、村田一塁塁審(中央)の右足に直撃
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 新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、プロ野球は開幕が見通せない状況が続いている。試合を見たいファンの切ない日々が続く中、ルールを取り上げることで野球の奥の深さを伝える。日本野球機構(NPB)の元審判で今年4月にスポニチに入社した柳内遼平記者(29)が審判時代を振り返り、実体験を通じたルールの面白さを紹介する。

 NPBでの審判1年目に大きなミスを犯した。11年3月、春季教育リーグのソフトバンク―広島戦で三塁塁審を務めた。2軍戦の審判は基本的に3人制。1軍に比べて1人少なく、走者が一塁に出塁すると、三塁塁審が遊撃手と投手の中間に立ち、二塁ベース付近でのプレーに備える。

 痛烈な打球を必死によけたが、スラックスをかすめて中堅へ抜けていき、すぐさま球審がタイムを宣告した。内野手を通過していない打球が審判に当たるとボールデッドで打者走者に一塁が与えられる。プロの打球はすさまじく、スラックスは焼けて溶けていた。

 独立リーグで審判を始めた時だった。元パ・リーグ審判部長で師匠の村田康一さんから何度も「打球に当たるなよ」と忠告された。師匠には苦い思い出がある。82年の西武―中日の日本シリーズ。2勝2敗で迎えた第5戦、0―0の3回2死二塁だった。中日・平野の打球が西武・田淵の脇を抜けた。一塁線を破って先制と思われたが、一塁塁審の村田さんの右足に当たった。

 打球は二塁方向に転がり、山崎が三塁に送球して二塁走者の田尾がアウトに。これで流れをつかんだ西武が4勝2敗で制した。村田さんは「石ころに当たったのと同様のインプレー」と話し、審判に当たればインプレーという認識が広まった。

 有名な「石ころ事件」があったからこそ、何度も忠告したのだろう。内野手を通過する前なら「ボールデッド」、通過後なら「インプレー」。師匠と弟子の経験から、覚えていただければ幸いだ。

 【A】内野手通過「前」→ボールデッド 「後」→インプレー。
 ◆公認野球規則5・06(c)ボールデッド(6)の抜粋 内野手(投手を含む)に触れていないフェアボールがフェア地域で走者または審判員に触れた場合、あるいは内野手(投手を除く)を通過していないフェアボールが審判員に触れた場合――打者が走者となったために、塁を明け渡す義務が生じた各走者は進む。

 【Q2】「ボール持ってない手でタッチ」成立する?

 2軍では、アウトを確実に取れる守備の名手は少ない。広島では上本、庄司の両選手の守備は定評があった。

 15年、由宇球場で行われた広島―ソフトバンクの2軍戦での出来事。二塁手の庄司は、1死一塁の場面でゴロを捕球。併殺を狙い、ボールを右手に持ち替えた後にグラブで一塁走者にタッチし、一塁へ送球。打者走者のアウトを確認し、庄司はベンチへ帰ろうとしたが、二塁塁審の私は一塁走者へセーフのコールをした。「絶対タッチしましたよ!」。抗議を受けたが、広島ベンチからは「柳内、よう見てた」と珍しく擁護の声を受けた。ボールを持っている方の手でタッチしなければ、アウトにならない。

 【Q3】グラブの「ひも」でもタッチ成立する?

 二塁塁審をしている時にこんなプレーがあった。一塁走者が盗塁した時に捕手からの送球が一塁側へそれた。遊撃手がタッチにいくと、走者はスライディングしながらよけたように見えたが、ヘルメットにグラブが触れた時に発するような「パチッ」という音が聞こえた。

 私は音が触れた証拠と「アウト」のコールをした。しかし、試合後に中継の映像を見直しても、やはりよけているように見え、後味の悪いジャッジに。翌日の試合前、内野ノックを見ていると、タッチした遊撃手のグラブのひもが他のプレーヤーより長い。タッチしたように聞こえた音の正体はグラブのひもがヘルメットに当たった時の音だった。規則上、ひもだけ触れてもアウトにはならない。目を信じず、音で判断した私のミスだった。

 【A2、A3】「ボールを保持した手またはグラブ」でのみ成立。
 ◆公認野球規則定義76 TAG(タッグ)「触球」の抜粋 手またはグラブに確実にボールを保持して、その手またはグラブ(ひもだけの場合は含まない)を走者に触れる行為をいう。

 【Q4】打席に立つ位置によってストライクゾーン変わる?

 「ストライクゾーンは立つ位置によって変わるのか?」。試合後、私たち審判は広島の東出(現2軍打撃コーチ)に質問を受けた。左打者の東出は代打で出場し、右投手の外角のボールゾーンから外角いっぱいに入るスライダーに見逃し三振を喫していた。いわゆる「バックドア」だ。

 ストライクゾーンの条件は高さとコース。これが立つ位置によって変わるのかということだった。打席の後ろいっぱいに立つ選手が多いが、東出は中央付近に立つ。高さは打ちにいった時の体が基準で、コースはホームベースが基準。つまり、打席の前に立てば立つほど、ストライクゾーンを通過していないように感じる。東出の感覚は正しかった。試合後に規則的な質問をする選手は珍しく、一流プレーヤーの視点は違うと実感した出来事だった。

 【A4】変わらない。ボールが本塁上通過したかで判断。
 ◆公認野球規則定義74 STRIKE ZONE「ストライクゾーン」 打者の肩の上部とユニホームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、膝頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間をいう。

 ≪審判として大切なものとは…≫NPB審判員6年目の16年、私は米フロリダ州にある審判学校に研修のために派遣された。そこで審判として大切なものを学んだ。

 期間は1カ月で米国、韓国、ベネズエラなどから約100人の若者がメジャーリーグ審判を目指して入学。優秀者はマイナーリーグの審判として契約を結べる。2週間ほどたつと「できる生徒」と「できない生徒」に分かれ、「できる生徒」のイアンは実技も知識も素晴らしく、トップ合格間違いなしと生徒の間で噂されていた。
 1カ月のプログラムが終わり、優秀者の発表。だが、イアンの名前は呼ばれず、泣き崩れていた。講師と2人になった時に理由を聞くと「彼の実力はトップだが、審判として一番大事な人を平等に見る公平さがなかった」と言った。確かに彼は「できない生徒」を相手にせず「できる生徒」とだけコミュニケーションを取っていた。

 野球規則には「審判は礼儀を重んじ、公平でなければならない」との記載がある。野球の母国で審判としてあるべき姿を学んだ。

 ◆柳内 遼平(やなぎうち・りょうへい)1990年(平2)9月20日生まれ、福岡県出身の29歳。光陵(福岡)では主に外野手としてプレーし、3年夏は南部大会2回戦で柳川に敗退。四国IL審判員を経て、11~16年にNPB審判員を務める。2軍戦では毎年100試合以上に出場。1軍初出場は15年9月28日のオリックス―楽天戦(京セラドーム)。1軍通算3試合出場。

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