阪神・田淵、初の開幕弾!13年連続本塁打王の王貞治を止めた初戴冠への1号

[ 2020年4月16日 05:30 ]

開幕よ、来い――猛虎のシーズン初戦を振り返る

75年4月5日、8回に田淵が左越えに1号を放つ
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 【1975年4月5日 中日球場 阪神5―4中日】田淵幸一が7年目にして初の開幕アーチをかけたのは8回だった。前年王者の中日との一戦。2点差に迫られた直後、1死から左翼席へソロを打ち込み、粘投を続けていた江夏豊を援護した。直後の守備に就く際、歩み寄ってきた江夏から突然右手を差し出され、がっちりと握り返した。

 「本塁打はフォークボールだ。2日前からやっと調子が出たと思っていた。それにしても、開幕戦本塁打。初めてじゃないかな。こんなに早く望んでいた一発が出るなんて最高の気分だね」

 7回の守備では体も張った。1死一、三塁からの左飛。望月充からの好返球は藤田平の俊敏な中継でつながり、本塁で待ち構える田淵のもとへ。捕球してから体をぶつけるように三塁走者・井上弘昭の突入を阻止した。

 オフに江夏が南海へトレードになり、“黄金バッテリー”で戦った最後の開幕戦でもあった。最終9回に1点差まで迫られながら逃げ切り。最後の最後で田淵の一発が効いた。124球を投げた江夏と肩を抱き合い、小柄な新監督の吉田義男を巨体2人で挟むように勝利をかみしめた。上機嫌で「まだ1本差じゃ!」とも高笑いした。巨人・王貞治を意識した言葉だった。

 秋に父を亡くした前年74年は自己最多45発まで伸ばしながら、13年連続本塁打王に輝いた王から4本差の次点。墓前に「今年こそ…」と約束した。

 王の不調も追い風になった。春季キャンプ中の左足ふくらはぎ肉離れの影響で調整が遅れ、同じ日にあった大洋との開幕戦は9回に代打で出て四球。開幕から8試合にわたって先発を外れた。対照的に田淵は4月15試合で10発を量産。以降も順調に積み重ね、9月11日の巨人戦で王の目の前で41号サヨナラ弾を放った。この時点で最大15本差。「いけると思った」と確信した。

 巨人との最終戦では直接言葉をかけられた。「僕がもっと打っていれば、君の本塁打数も、もっと伸びていたに違いないね」。目標にしてきた大先輩に認められた。最終的に10本差の43発で初戴冠。そして、最後の戴冠になった。=敬称略=

 ▽1975年の世相 新幹線の東京―博多直通運転を開始(3月)、ベトナム戦争が終結(4月)、コクヨが「Campusノート」発売(8月)、広島が初のセ・リーグ優勝、巨人は球団史上初の最下位(10月)、68年発生の3億円事件の公訴時効が成立(12月)【流行語】「アンタあの娘のなんなのさ」「オヨヨ」「死刑!」

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