ロッテ福浦独占手記 グリップに家族の名前…試合前に今も続ける儀式

[ 2018年9月23日 08:00 ]

パ・リーグ   ロッテ3―5西武 ( 2018年9月22日    ZOZOマリン )

自宅にあるボブルヘッド人形を手に笑顔の福浦
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 偉業を成し遂げたロッテ・福浦和也内野手(42)が、本紙へ独占手記を寄せた。現役25年目でたどり着いた2000安打。気付けば00年に46歳で亡くした母の年齢に近づいた。プロ4年目のオフに結婚、支えてくれた妻、2人の息子の成長は打席に立つ力となった。バットのグリップに名前を書く「家族」へ――。感謝の言葉をつづった。

 スタンドでは家族が見届けてくれた。21日の試合も見に来てくれていたから、昨日の夜は自宅で謝った。だから打ててよかった。

 今でも続ける儀式がある。試合前、バットのグリップに家族の名前を書く。最初は00年に46歳で亡くしたおふくろに見守ってほしかったからだった。今は妻、2人の息子、昨年亡くなった妻の母。まだ元気なおやじの名前は書かないけど一番近くで支えてくれた。感謝を伝えたいね。

 おふくろは99年に余命宣告を受けた。いずれは自分も順番が来ることだと分かっているけど、亡くなった年は気持ちも落ちたし、精神を保てなかった。オールスターに出る姿を見せたいと頑張ったけど(直前の6月にこの世を去って)かなわなかった。

 マリンスタジアムがまだガラガラだった頃、おふくろはおやじと毎日のように応援に来てくれた。千葉の小さな団地住まい。共働きだった。自分より4歳下と11歳下の弟もいた。苦しい生活の中、3兄弟全員に野球をやらせてくれたし、相当、苦労していたと思う。おやじがたまに相手をしてくれたけど、友達も少なく、近所のブロック塀がキャッチボール相手だった。

 小さい頃には三輪車でブロック塀に突っ込み、大ケガしたこともある。左投げになったのは3歳の頃、滑り台から落ちて右手を骨折したからだと聞いた。今でもやろうと思えば両手を使えるんだよ。心配ばかりかけた子供時代だったと思う。

 ただ、親になった自分はと言えば野球以外、家のことはほぼやらない。食器を下げたり、休日に風呂を沸かすくらい。だから、嫁はよくやってくれる。ナイターが終わり、深夜、帰るまで起きたままで食事を用意し、自分は早朝に起床し、子供の世話とか本当に頭が下がる思いだよ。

 自宅で野球の話はほとんどしない。ヒットを打った日は「1本打ったね」とか、言うことはあるけどね。ただ、リビングには「FUKU―METER」付きボブルヘッド人形がたくさんあって、ヒットを打って帰ると数字が増えているんだ。こっそり、息子たちがやってくれてるんだろうけど、球場では意識しなかった2000安打を「(残り数が)減ったなあ」と唯一、実感する瞬間だった。

 中2の長男はサッカーをやっているけど、小4の次男は野球が好きみたい。素振りのマネとかもしてるけど、どうするんだろう。これだけ家にいない父親もどうかと思うけど、これから先も「夢」はいっぱいありますよ。野球だけじゃないし、子供が結婚するとかね。その一つ一つを楽しもうと思います。ただまずはおふくろの墓参りに行って「ありがとう」と伝えたいね。(千葉ロッテマリーンズ内野手)

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