全球団最終指名、投手失格…ロッテ福浦 不屈の42歳9カ月2000安打

[ 2018年9月23日 05:30 ]

パ・リーグ   ロッテ3―5西武 ( 2018年9月22日    ZOZOマリン )

<ロ・西>8回無死、福浦は二塁打で2000安打を達成し笑顔を見せる(撮影・森沢裕)
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 ロッテ・福浦和也内野手(42)が22日の西武戦で8回に右越え二塁打を放ち、史上52人目となる通算2000安打を達成した。球団では68年の榎本喜八、85年の有藤道世に次いで3人目。93年ドラフト会議では、12球団で一番最後の64番目に指名され、入団1年目に投手から打者転向した。42歳9カ月で到達は、42歳11カ月の和田一浩(中日)に次ぐ史上2番目の年長記録。千葉で生まれ育った「幕張の安打製造機」は26年目の来季も現役を続行する。

 右翼線への打球を見つめながら走った。二塁へ到達した瞬間、左手を千葉の空へ突き上げる。ここまでは無心。満員御礼となった3万19人のファンは総立ち。はたと気づいた福浦は客席へ両手を上げる。四半世紀で2000安打を積み上げた男も我を忘れるほど、格別の1本だった。

 「無意識に走って、無意識にガッツポーズして、訳分からなかった。プロ初安打もそうだったけど、これだけ皆さんが喜んでくれた。だから(一番は)この一本ですね」

 節目の一打は8回無死、左腕・小川の127キロスライダーをつかまえた。今季苦しんだ首痛は左投手の変化球を空振りした際、しびれが走る。再発した場合、数試合欠場のリスクもあったが、この日最後の可能性の高い打席で覚悟を決めて振り抜いた。

 腰痛や脇腹痛など09年の通算1500安打達成から9年。残り38本でスタートした今季は5月に体調不良。体重は5キロ減り、82キロとなった。2軍降格も経験。「(2000安打に)一番近く現役を終わったのは誰?」と周囲に聞くほど、ゴールが見えなくなった時もあった。

 それでも積み上げた技術がある。18歳の夏。運命を左右する打者転向の試験と知らず、打撃練習で快音を響かせた。投手として入団も左肩、肘を痛め、走り込みでは何度も嘔吐(おうと)。当時の山本功児2軍打撃コーチの判断でバットを握らされた。ケン・グリフィー、イチローらの打撃フォームをマネすることから始めた。

 ただ、3年目まで1軍出場のない背番号70。「おまえ、コーチか?」のヤジも飛んだ。戦力外通告も覚悟した時、当時の広野功2軍打撃コーチに救われた。体の正面にしていたバットの位置を頭の後ろへ置き、一度引く動作を省くことで見極める「間」ができた。そしてイチローがメジャー移籍した01年、首位打者にも輝いた。

 努力の天才。「スイングスピードが遅いんですよ」。試合用の900グラムを速く振れるように、練習では1・3キロを使う。打撃チェックはアナログ派。テレビの画面に無数の印を付け、頭や尻などの位置を確認する。93年ドラフトで最後に名前を呼ばれた男が地道に努力を積み重ねた。

 試合後、福浦は監督室を訪れて「厳しいです」と首の状態は限界と伝えた。治療に専念するべく、出場選手登録を一度抹消される。ただ、ユニホームはまだ脱がない。「来年もやるつもり。まだまだ、若手にも教え、自分もしっかりやる」と現役続行を宣言した。

 05、10年の日本一は敵地での胴上げとビールかけだった。「マリンで、ファンの皆さんの前で井口監督を胴上げしたい」。生まれ育った千葉にある本拠地でのリーグ優勝&日本一。背番号9は偉業達成の日、もうひとつの夢を語った。 (福浦 健太郎)

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