渡辺元智氏 星稜に食らいついた藤蔭の反撃見事 最後までワクワクした開幕戦だった

[ 2018年8月6日 08:42 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会第1日・1回戦   星稜9―4藤蔭 ( 2018年8月5日    甲子園 )

古田敦也氏(左)と解説席に座る渡辺氏(撮影・大森 寛明)
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 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜第1日】甲子園の歴史を彩ってきた名将がいる。数々の名勝負を演じ、勝つ喜びとともに、甲子園の怖さも知る指揮官たち。第100回大会を記念し、16人の名将がスポニチ本紙に日替わりで登場し、特別寄稿する。大会第1日は春夏通算5度の優勝を誇る元横浜監督の渡辺元智氏(73)――。

 皇太子ご夫妻が臨席されて始まった100回の記念大会。開会式で選手が登場する門の「100」の数字を見て身震いし、選手全員が本塁に向かって行進するさまは夢や感動を超えるものがある。母校・横浜がいるのもうれしい。つくづく幸せを感じた。

 解説席には98年の横浜主将で選手宣誓をこなした小山良男があいさつに来た。高校野球を取材している長島三奈さんが「小山さんに会うのは20年ぶりね」と懐かしそうに話した。遠い昔と思っていた出来事が鮮明に脳裏によみがえった。解説席から三塁側ベンチがよく見える。春を制し追われる立場になって乗り込んだ甲子園。夏は負ければ終わり。私は横浜をたつ前から「夏のPL学園を倒してこそ価値がある」と思っていた。

 松坂大輔を中心に順調に勝ち進み、準々決勝で対戦したPL学園。点を取り合いもつれこんだ延長戦。17回、常盤良太が2ランを放って決着をつけたが「こんな試合こそ勝つんだ!」と活を入れたことを覚えている。松坂は実に250球を投げた。

 準決勝は明徳義塾。松坂は左翼に入れ、2年生投手のリレーで必死に防戦したが7回を終わって0―6。「ここまできたら最高のメンバーで終わろう」と松坂に「行けるか?」と聞いたら「はい」と言ってブルペンに走った。そのとき、球場全体から「うぉー」という大歓声。その空気が8回裏に4点を返す原動力になった。9回の登板に備え松坂が腕のテーピングを外したとき、球場が揺れるような大歓声。こんな経験は初めてだった。その裏、後藤武敏が同点打。実は腰を疲労骨折していて涙の直訴で出場していた。柴武志のサヨナラ打がポトリと二塁後方に落ちたとき私は神を信じた。

 決勝はご存じの通り松坂が京都成章をノーヒットノーランに抑える大記録。この3試合は私にとっても奇跡という表現しかできないものだった。

 開幕試合の始球式に松井秀喜さんが登板した。バックに星稜が守っている。そして藤蔭の原秀登監督が主将として甲子園に出場したとき松井さんも1年生で出ている。こんな偶然があるのだろうか。これも100回という数字が絡み合ってのものだと思う。

 星稜はコンパクトに狙い球を絞り、素晴らしい打撃を見せてくれた。長打力がある南保君、竹谷君が不振でも脇役がしっかりつないだ。次はこの主軸2人が修正してくるだろうから、さらに期待できる。投手の奥川君も松井さんにパワーをもらったように力強かった。

 敗れた藤蔭は最後まで攻めの姿勢を崩さなかった。星稜の山瀬捕手の強肩をかいくぐり見事な二盗も決めた。7、8回の反撃は見事なもの。一方的になりかけた流れをこの2イニングが緊迫した試合にした。そして両軍無失策が試合を締めた。

 開幕試合にふさわしい、ワクワクゾクゾクするゲームだった。100回大会は質の高い試合が続く予感がしてならない。 (元横浜監督)

 ◆渡辺 元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日生まれ、神奈川県出身の73歳。68年秋から横浜の監督に就任。73年センバツで初出場初優勝。80年夏は愛甲猛を擁し初優勝。98年は松坂らで甲子園春夏連覇。神宮大会、国体も含め4冠、44連勝無敗を記録した。06年のセンバツで3度目の優勝。甲子園通算51勝22敗。今年「育成功労賞」を受賞した。

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