マー君が振り返る“あの夏” 佑との決勝再試合「あの経験ができたから…」

[ 2018年8月3日 10:00 ]

05年決勝で京都外大西を破り、ガッツポーズする田中(左)
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 ヤンキースの田中将大投手(29)が、第100回の記念大会を前に、スポニチ本紙のインタビューに答えた。プロ入団後は駒大苫小牧時代について語ることは少なかった右腕。早実との決勝再試合の激闘から12年、当時の思い出と甲子園が後の野球人生に与えた影響について語った。(聞き手・杉浦大介通信員)

 ――野球人生を振り返り、高校時代はどんな3年間だったか?

 「自分の人生の中でも非常に濃い3年間だったと思います。夏は3年連続で甲子園の決勝までいった。2年で胴上げ投手になり、3年は最後の打者。この2つの経験をした人はなかなかいないのではないかと思いますね」

 ――3年夏の早実との決勝戦は、延長引き分け再試合となった。

 「あれだけ盛り上がり、あの経験ができたから、プロでも大観衆の中で投げることに緊張とかなかった。もちろん、負けて悔しかったし、3連覇したかった思いはありました。だが後悔はしていないし、出し切ったという気持ちが大きかった」

 ――まだ10代だったが、相当の重圧も背負っていたのでは?

 「当時はそう感じていなかった。期待や注目など全て分かった上で、自分たちの野球をやろう、楽しもうと。ただ決勝再試合で2試合やって次の日、体が凄く楽なことにビックリした。うそみたいで信じてもらえないかもしれませんが。1試合目の夜や、再試合の日は本当にしんどかったんですけど。これが重圧、プレッシャーを感じていたことだったのかと思いました」

 ――親元から離れ、高校生活を送った。

 「甲子園に行きたいというよりも、選手として、人間として上達していける環境に身を置きたかった。プロ野球に行くためにでもない。親元を離れて野球をすることしか考えていなかった。両親の理解もあって行けたことに感謝しています」

 ――常に新しい環境を求める思考は、ヤンキース入団を選択した際にも通じるものか?

 「似た感じかもしれないですね。上のレベルでやって成長できる、というのがあった。高校は有名校ではなく入学時には甲子園で1勝もしたことはなかった。楽天もこれから歴史をつくっていくという球団だった。逆に超名門で歴史あるチームではプレーしたことがなかった。今までと違う環境に身を置くとどうなるのだろうか、というのはありました」

 ――高校時代、一番に思い出すのは何か?

 「冬場の練習は印象に残っている。絶対やりたくないです。積もった雪をどかし、氷の上で普通にノックやシート打撃をした。今考えたら相当クレージー。でも一冬越えれば精神的にも、バランス感覚とかも鍛えられていた。あの高校に行っていなかったら、甲子園に出ていないかもしれない。プロ野球選手にもなっていないかもしれない。全てつながって今があると、もちろんそう思っています」

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2018年8月3日のニュース