阪神・才木 無名だった高校時代 イチ流栄養学&母の支えで覚醒

[ 2018年5月28日 13:30 ]

<神・巨>プロ初勝利を挙げ、ウイニングボールを手に笑顔の才木(撮影・北條 貴史)
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 須磨翔風入学直後、浩人はいきなり挫折を味わった。1メートル84の長身が際立った一方、体重70キロで線が細かった。球速も120キロに満たず、9人いた1年生の投手の中では4番手の扱い。評価が上だった3人の同級生投手がレギュラー組に加わったのとは対照的に、1年生だけで練習する日々が続いた。

 「本当にエースになれるのかなと不安になったし、悔しかった。絶対に追い抜いてやろうと思った」

 転機は1年生の秋に訪れた。1995年から3年間にわたってオリックスで球団専属管理栄養士を務めた坂元美子氏が、当時、須磨翔風で家庭科の授業を受け持っていた。イチローにも食事指導した経験があり、同校の中尾修監督が野球部部員への「栄養セミナー」の開講を依頼。“食のプロ”の講義を聞いて、浩人の意識が変わった。

 どの栄養素が、体にどのような効果をもたらすのか。正しい食事はパフォーマンスにどう影響するのか。「話を聞いて、事の大切さが改めてわかりました。本気で体重を増やさないといけないと思った」。すぐに行動へ移した。「空腹の状態をなくすこと」を掲げ、学校には通常の弁当以外にも6つのおにぎりを母・久子さんに作ってもらい、学校へ持参した。

 早朝練習後、1時限目後、2時限目後、16時からの練習前、練習中、練習後に1つずつ食べた。昼食の弁当を含めれば1日5合にも及んだ。毎朝4時起きだった母の工夫にも助けられた。単に量を作るだけでなく、近所のスーパーで30種類弱のふりかけを購入し、飽きないように一つ一つ違う味付けのおにぎりを作ってくれた。

 効果は表れた。一冬越えると体重は5キロ増え、球速は一気に140キロ台に到達。2年春には初めて背番号1を勝ち取るまでになった。以降も一日も欠かさず“暴食トレ”を続け、3年夏には体重79キロ、最速は148キロまで達し、プロ球団のスカウトから注目される存在へ成長した。兵庫大会では2年春の4強が最高で、最後の夏は報徳学園との2回戦で8回11安打5失点と打ち込まれて敗退。プロ志望届けを出し、運命の「10・20」を迎えた。

 ドラフト会議当日。予想していた下位指名ではなく3位で名前が呼ばれた。しかも、子供の頃から応援してた阪神からの指名だ。「まだないだろうと思って、ボーッとしてたんですけど、まさかの3位でした」。会場にいた母に真っ先に「ありがとう」と伝え、帰宅後には父・昭義さんと握手を交わした。「不安はあまりない。めちゃめちゃワクワクしています。レベルの高い世界でもっともっと成長したい」。猛虎の未来のエースへの、スタートラインに立った。 (巻木 周平)

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2018年5月28日のニュース