猛虎のニュースター・才木 転機はあの選手との出会い?

[ 2018年5月28日 13:30 ]

<神・巨>6回2死二塁、吉川尚を空振り三振に仕留め、雄叫びを上げる才木(撮影・北條 貴史)
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“事件”が起きたのは浩人が小学4年の時だった。神戸市の「枝吉パワーズ」で捕手として出場した4年生以下の大会。当時すでに身長が1メートル50を超えていて、打っては鋭い打球を飛ばし、守っても強肩を披露する姿を目の当たりにした大会役員から、疑惑を向けられた。「あの子は本当に4年生か?」。役員席からの声は、ちょうど近くで試合のアナウンスを担当していた母・久子にも聞こえた。

 慌てた母は、持参していた保険証を見せることで、疑念を晴らした。「すごく疑っていたんです(笑い)。他にも『年齢詐称じゃないか?』て言われたこともありました」。小学校時代は身長順で並ぶと、決まって一番後方。いまでは笑い話になった逸話だ。

 1998年11月7日に才木家の次男として生を受けた。父・昭義はロボット製作に携わるエンジニア、母・久子には大体大時代にハンドボールの全日本大学選手権(インカレ)で準優勝した経験があった。3180グラムで誕生。ハイハイの時期はほとんどなく、1歳を迎える前には自宅の中を走り回るようになり、部屋にあった観葉植物の鉢にぶつかって左目の下を4針縫う怪我を負ったこともあった。

 幼稚園の頃はサッカー好きだった。一方、3歳上の兄・智史は先に少年野球を始めていた。2人兄弟で競技が別になっては、練習や試合への送迎などで負担が増す両親から「お兄ちゃんが小学校を卒業するまでは野球を」と半ば強引に説き伏せられ、小学1年から兄と一緒のチームに入った。打ち込み始めた野球からは、兄が卒業した後も離れることはなかった。

 神戸市立王塚台中学校でも軟式野球部に所属。進学を控えていた3年の冬に、運命的な出会いがあった。藤井彰人、能見篤史ら阪神タイガースの選手が駆けつけた野球教室に参加。「プロ野球選手チーム対少年野球チーム」の紅白戦が開催され、なんと能見から先発投手に指名された。“対決”した能見から見事に空振り三振を奪い、「フォームがきれいだね」と褒められた。

 そんな能見とは、自然と進学先の話題になった。強豪私立から誘いがなかった経緯を明かすと、「この先、見返してやれ」と励まされた。これ以上ない激励だった。そんな“恩人”と同じユニホームを着ることを当時は想像できなくても、「夢」でしかなかったプロ野球選手が「目標」に変わった瞬間だった。兄もいた須磨翔風への進学を決定。しかし、“見返す”ための道のりは決して順風ではなかった。 (巻木 周平)

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2018年5月28日のニュース