【球団トップに聞く】広島・鈴木球団本部長 黒田、新井復帰は想定以上の影響力

[ 2017年1月10日 11:30 ]

球団トップに聞く!広島・鈴木清明球団本部長(上)

広島の鈴木清明球団本部長
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 昨季25年ぶりのリーグ優勝に沸いた広島。その立役者となった黒田、新井の復帰に尽力したのが鈴木清明球団本部長(62)だ。12球団による実行委員会メンバーとしても最古参の15年目。歓喜の舞台裏、黒田引退後のビジョン、球界が抱える懸案などについて、率直な思いを語った。

 黒田博樹と新井貴浩。14年オフに古巣へ戻ってきた2人の存在と活躍を抜きにして、悲願だった昨季の25年ぶりリーグ優勝は語れない。前者は引退の花道を飾り、後者はセ・リーグ最優秀選手(MVP)を受賞。その復帰に尽力した鈴木本部長は、彼らの影響力を「想定外」としながら感慨に浸った。

 「ここまでうまくいくとは思わなかった。ベテランがあれだけ練習し、歩み寄るから、若い選手も彼らに近寄り、付いて行く。2人の仲がいいから全体が一つになり、いいチームになったよね」

 77年、東洋工業(マツダ)に入社。松田元(はじめ)オーナーも当時は同じ部署に勤務し、遊び仲間だったという。その縁で83年に広島東洋カープへ。故松田耕平前オーナーの方針で、グッズ販売などの拠点施設・カルピオ(カープベースボールギャラリー)を新規に立ち上げ、初代店長を務めた。

 並行して、入団間もない緒方監督らを引率し、米国での野球留学に2年間付き添ったことも。帰国すると、開校目前のカープアカデミーで工事の遅延が判明。ドミニカ共和国へ急きょ飛び「芝生を植えたり、現場監督のようなこともやった」と笑う。90年秋のことだ。

 「何でこんなことを…と思うこともあった。でも、不思議なもんよね。こうなれば、当時の経験はよかった…と思う」

 リーグ優勝の陰の立役者だ。ヤンキースからFAとなっていた黒田、阪神を自由契約となった新井との交渉役。とりわけ、黒田には10年オフからラブコールを送り続け、与えられた権限の中で最大限の誠意を示してきた。彼らの存在は若いチームを活性化させ、ファンの共感も呼んだ。そこに球団の努力やチームの快進撃も重なり、昨季主催試合の入場者数は過去最高の215万7331人を記録。フロント冥利(みょうり)に尽きる結果ではないか。

 「そこまではないよ。30代のレギュラーがどうしても欲しかったけど、俺が仕組んで道をつくったわけじゃないし、説得したわけでもない。あくまで接点。2人が帰るちょうどいいタイミングだったということ」

 セ界の頂点へと押し上げたベテランと若さの融合。鈴木球団本部長は笑って首を横に振るが、繁栄への道筋をつけたのは間違いない。 (江尾 卓也)

 ◆鈴木 清明(すずき・きよあき)1954年(昭29)3月6日、広島県呉市生まれの62歳。修道高から慶大に進み、77年東洋工業(マツダ)に入社。83年に広島東洋カープに転職し、商品販売部長、球団部長などを歴任。取締役球団副本部長となった03年から12球団の実行委員会に参加し、球界再編など諸問題の解決に当たる。05年から常務取締役球団本部長。

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