「優勝」野村前監督が声に出してまいた種が実結ぶ

[ 2016年9月16日 08:15 ]

広島のスタメン変遷

 【25年ぶり鯉のぼり5】09年秋、引退から4年を過ぎた野村謙二郎は12年連続Bクラスからの再建を託された。短期間の臨時コーチ以外では指導者歴を経ない監督就任だった。現役当時は7年間に渡って主将を務め、オーナーの松田元から「切り札」と期待を寄せられた。

 最初のミーティングで選手に呼びかけた。「目標は優勝。Aクラスを目指す――はやめよう。笑われてもいいじゃないか。優勝という目標を言葉にしよう」。実際、本当に周りには笑われた。構わなかった。泥臭さ、負けん気、誇り…。赤ヘルの伝統が薄れているという危機感があったから、半ば無理やり、「優勝」と選手に言わせた。

 全力疾走やバックアップなど「当たり前のこと」から説いた。若い選手は特に?って怒った。向かってきた一人が丸佳浩だった。「もっと教えて欲しい――。そんな目をしていた」。11年秋のドラフトで無名の地方大学から加わった菊池涼介には驚かされた。「教えたことがすぐにできた」。堂林翔太は3年目で全試合起用し、鈴木誠也も1年目から抜てき。投手でも中崎翔太や戸田隆矢らを引き上げた。「リスクはある。でも、スカウトの眼を信じた」。代わりに中堅選手を外すときには「はい上がってきて欲しい」と心を鬼にした。

 3位争いに敗れた12年頃から変化に気付いた。優勝したい――。強制ではない自発的な選手の声を聞いた。13年に16年ぶりAクラス入りを果たし、クライマックスシリーズ(CS)に初進出。5年目の14年には秋に巨人と優勝争いを演じた。10年春の開幕戦と14年秋のCS最終戦。最初と最後で、まるで違うチームになった。土台をつくり、退いた。

 区切りをつけたのは激務による心身の消耗以外にも理由があった。「カープは常に人材を見いだして育てていかないといけない球団。監督が代わって視点が変われば、新しい人材がきっと出てくる。だから、長くやり過ぎない方がいい」。後を託した緒方孝市が宙に舞う光景を「見事に“アンカー”を務めてくれた」と心から喜んだ。

 悲願の優勝から一夜明けた11日の巨人戦。2年目19歳の左腕、塹江敦哉が1軍デビューした。1/3回6失点、防御率162・0の出発にもうなずいた。「優勝して終わりじゃない。次の世代の人材を見いだそうという意思表示だと思う。もう25年も待たせるわけにはいかないから」。志が引き継がれたことがうれしかった。=敬称略、終わり=
  (広島取材班)

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