スゴイ背番号「18」渡辺!初先発で82分初完封

[ 2011年3月27日 06:00 ]

<履正社・総合技術>背番号18番を背負い、2安打無失点で完封勝利の履正社・渡辺

第83回選抜高校野球  履正社4―0総合技術

(3月26日 甲子園)
 背番号18の“代役”が大舞台のマウンドで躍動した。履正社先発・渡辺は、上手投げとサイドスローをランダムに使い分ける変則投球で総合技術を幻惑。昨秋の公式戦登板わずか2試合9回1/3の左腕が、公式戦初完投初完封と輝きを放った。

 「甲子園のマウンドで投げられたのは、両親や周囲の人のおかげ。それに感謝しながら投げました」。毎回マウンドへ上がる直前に深く頭を下げ、聖地のプレートを踏みしめた。エース・飯塚が20日の練習試合終了後に左肩甲骨痛を発症し岡田監督は試合前夜に渡辺の起用を決断。この日の朝、本人に告げられた。

 「心の準備はしていました」

 先発を読み違えた相手を手玉に取った。最速138キロを計測した直球にカーブ、スライダー、チェンジアップを織り交ぜて2安打完封。センバツでは試合時間記録の残っていない1951年(昭26)から57年(同32)までの7年間を除けば戦後最短、もちろん74年(同49)の金属バット導入後でも最短試合となる1時間22分で勝利をつかんだ。

 わずか1週間前に始めた“二投流”。「スライダーを投げる時に腕が下がるので、逆にサイドから直球も投げたら打ちにくいと思って」。相手打者の気配を読み、自らの判断で上、横を使い分ける。“転向”後初の実戦で最高の結果を残した。

 昨秋は背番号11。だが今年に入って気の緩みを監督に見透かされて「おまえに背番号はやらない」と突き放された。それでも心を入れ替え、何とか18番に滑り込んだ。奈良県出身のため、学校近くのマンションで坂本主将らとともに下宿生活。そんな愛息の勇姿をひと目見ようとアルプス席には父・敦さん(48)の姿があった。智弁学園、NTT西日本でプレーした敦さんは「(先発発表後の)スコアボードを見て驚きました。いつも以上によかった」と目を細めた。

 「右の飯塚、左の渡辺といわれるようになりたい」。頂点を狙う履正社に、もう1人のエースが誕生した。

 ≪大会記録は75分≫第2試合の試合時間1時間22分は、74年の金属バット導入以降、最短試合。これまでは82年2回戦の中京―大成戦の1時間24分が最短だった。大会記録は32年2回戦の京都師範―海草中戦の1時間15分。ちなみに夏は、47年決勝の小倉中―岐阜商戦の1時間12分が最短。

 ≪部長は阪神・淡路大震災直後のセンバツに出場≫履正社・松平一彦部長は、16年前の阪神・淡路大震災直後のセンバツに神港学園(兵庫)の選手として出場している。当時を振り返り「鳴り物がないのは同じ。打席内でも応援の声が聞こえて来たのを覚えています」。東日本大震災の被災地へ思いもはせ「高校球児の一生懸命な姿が、被災された方々を少しでも勇気づけられたらいい」と話した。

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