高嶋監督 恩師・尾藤氏にささげる“前人未到”60勝!

[ 2011年3月27日 06:00 ]

<佐渡・智弁和歌山>春夏通算60勝の記念ウイニングボールをポケットに入れる智弁和歌山・高嶋監督

第83回選抜高校野球  智弁和歌山8―1佐渡

(3月26日 甲子園)
 試合後、中村主将から記念のウイニングボールを手渡された智弁和歌山の高嶋監督は、ユニホームのポケットにそっとしのばせた。自らが持つ甲子園での最多勝利記録を更新し、区切りの60勝に到達。「キャプテンが“区切りの60勝”と言ってくれました。ありがたいです」と目尻を下げた。

 初回に宮川と中村の適時打で2点を先制。1点差に迫られた6回には、2死無走者から道端の満塁走者一掃の三塁打などで4点を追加した。西川(現日本ハム)ら一発のある強打者をそろえた昨夏の甲子園は成田(千葉)に初戦敗退。「昨年の敗戦が生きている。本塁打を打つ打者はいないが、途中で修正できる」と、中盤以降に突き放したことを評価した。

 「野球の上の恩師」にささげる勝利でもあった。元箕島監督の尾藤公氏が今月6日に他界。高嶋監督が1980年に智弁和歌山の監督に就任した当時、和歌山は箕島の絶頂期で、何度も甲子園を阻まれた。打倒・箕島に向け、就任5年目に初めて練習試合を申し込んだ。尾藤氏はこれを快諾し、今では定期戦となっている。尾藤氏が塾長を務めていた日本高野連「甲子園塾」にも講師として参加し、若い指導者にノウハウを伝えてきた。「いつも“若い人間を育てろよ”と言われてきました。今度は自分の番」。今後も勝ち星を積み重ねることで、尾藤氏の遺志を継いでいく覚悟だ。

 勝利の余韻も落ち着いたインタビュー台の上で、高嶋監督は言った。「和歌山に来た頃は、箕島を倒すことが甲子園につながると思ってやってきました。尾藤さんも喜んでくれていると思います」。天国の師に勝利を報告できたことが何よりうれしかった。

 ▼ヤクルト・武内(智弁和歌山OB。甲子園に3度出場し00年は春が準優勝、夏は優勝)毎年毎年、選手を鍛えて60勝になったのは凄いこと。その中に自分たちも何勝か入っているのは光栄。監督がまた甲子園で優勝するシーンをぜひ見たいです。

 ◆高嶋 仁(たかしま・ひとし)1946年(昭21)5月30日、長崎県生まれの64歳。長崎海星では投手兼外野手として63、64年夏に甲子園に出場した。日体大を経て72年に智弁学園(奈良)の監督に就任。その後、80年に智弁和歌山の監督に就任した。家族は妻と1男1女。91、92年夏には長男の茂雄さんとともに親子で甲子園に出場した。趣味は旅行と山登り。

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