選手のオヤジになれたね…おっかあから落合監督に祝福レター

[ 2010年10月2日 12:10 ]

落合監督夫妻

 球場では他人を寄せ付けないほどの雰囲気を醸し出し、時には世論を敵に回すことさえいとわないオレ流指揮官。そんな落合監督を全力でサポートし、時にはしかり、いさめることができる唯一の人物が信子夫人(66)だ。今季もナゴヤドームの大半の試合に足を運び、一番近くから「夫・落合博満」を支えてきた。縁の下から落合竜を支えた“おっかあ”から最愛の夫へ、ねぎらいの気持ちを込めた手紙が届いた。(スポニチ紙面には直筆レター掲載)

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 落合博満へ
 4年ぶりのリーグ優勝おめでとうございます。

 今年の前半戦は最悪でこの状況で1位に8ゲーム差つけられたこともありました。だいぶ悩んでいたよね。夏はとんでもない猛暑で、ヨソは練習量を減らしたりした。ウチはオールスター休みも2日だけ。私が「休ませてあげたら?」横から口出ししたら「下手は練習するしかない」言い切られました。今考えると、それが最後のラストスパート、そして貯金につながった気がしますね。

 あなたはいつも自分から何も話さない。周りもそっと監督の様子をうかがうような感じで話そうとしない。でも、皆がみんな分かってくれる人ばかりじゃない。そのままではあなたが悪く書かれてしまうから、思ってること、感じたこと話そうよね。ただ「選手に聞いてくれ、きょうは!」じゃなくて、監督はどうなんだって、どう思っているかを聞きたいのよ。

 家の中でも格闘があった。福嗣が「父ちゃん、オレも雑誌で書いたりしているけど、モノ言わないと、話さないと相手に伝わらないよ」と言ってくれた。凄く感謝しているの。「今年は監督よく話す」と言われたらうれしい。家に帰る車の中、いろいろ話をしようと、しゃべらせようと何でもかんでも聞いたり話したりしたよね。あ、こんなふうに思っていたんだとか。

 一番印象に残っているのは試合後室内で打ち込んでいる選手をあなたが見に行く姿でした。選手が気づいていても、いなくても素通りせず必ずドアを開けて練習見ていた。目に余るようだと大きな声が飛んだ。「おまえ、そこはな、待て」といきなり指導が始まり、選手はうれしいけど怖いって感じ。時々「きょうは言うことないわ、帰るぞ」。気にしていた選手が自主的に目の前で打っていた。「やっとやる気になったのか!」と言って親はにっこりだ。その姿が本当にほほ笑ましく感じた。息子にモノ言っている。オヤジさんのようだったから。その空気は監督と選手ではない。私はそれを見て、今年は「オヤジさん」とあなたを呼ぶことにしたの。選手一人一人のオヤジってわけよ。「すぐ忘れるから朝まで打っとけ」。あとから電話して「帰ったか?」。そんなやりとりが毎日あった。いいオヤジになれたのも優勝の一因じゃないかな。

 落合博満が持っている野球のDNA「三冠王3度のスピリッツ」を選手に植え付けるんだという意気込みを強く感じた。「今の足の位置だ」、「今度肩が入りすぎだ」。熱心に指導しているのを見た夜は、私も安心でぐっすり眠りにつくことができた。

 現役時代は私の誕生日に必ずホームランを打ってくれたよね。でも、今年のプレゼントはヤクルト戦で判定をめぐり暴言を吐いて退場!私も66歳。あなたの背番号も66だから、験担ぎで神宮に。それが何よ、私の誕生日だからってそんなに目立ったことするなよー。あまり早く退場したから「何て言ったのよ」と聞いたら「おまえも退場だって言ってやった」だって。あきれましたね。オヤジがガキになっているじゃないの!

 あの時は、私の後ろのファンの声に救われました。みんなが「監督、間違ってないぞー」と言ってくれた。それを聞いてこの場は動いちゃいけないと私は思った。私は母親役だから。オヤジが退場なら、おふくろがいるしかない。スタンドの席で微動だにしなかった。

 今年の9月18日は忘れないわよ。でもあんな誕生日プレゼントは、最初で最後にしてね。

 今の世の中を見ると混沌(こんとん)とした現状。政治も変わったり、異常気象だったり。セ・リーグも混戦と言われる中、よくぞ優勝してくれました。これで「完全優勝」という次のステップに進めますね。

落合 信子

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2010年10月2日のニュース