楽天悲願CS!ノムさん死んでもいい!?

[ 2009年10月4日 06:00 ]

<楽・西>CS出場を決め、スタンドの声援にこたえる野村克也監督

 【楽天14―5西武】楽天は3日、球団新記録となる1試合5本塁打などで今季最多となる14得点で西武に大勝。今季最多の2万901人の観衆が見守るKスタ宮城で、球団創設5年目で悲願のクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。創設1年目で97敗を喫したチームを率いて4年の野村克也監督(74)が、独自の野球哲学と強烈な個性で弱小集団を変ぼうさせた。日本一への挑戦権を得て、「野村劇場」はこれからが本番だ。

 杜の都にこだまするファンの大歓声を遠くに聞きながら、CS進出決定では異例となる祝勝会は始まった。会場となったロッカールームであいさつに立った野村監督が「とりあえず第1関門は突破した。まだ第2、第3、第4まである」と大声を上げる。即座に選手を代表して岩隈が「日本シリーズでてっぺんを獲って、監督の有終の美を飾りましょう」と去就問題をからめた“毒舌”で呼応。指揮官も負けてはいない。「オレの夢は胴上げで落っこちてのご臨終だ」と言い返すと、会場は大爆笑に包まれた。
 それでも、歓喜の宴(うたげ)を終えると、野村監督はしみじみと言葉を選んだ。「正直なところ、(CS進出は)無理じゃないかと思っていた。何といっても、お客さんが喜んでくれた。終わったときの歓声が一番凄かったな」。その顔には安どの色が広がった。
 産声を上げてから実に1796日後の歓喜だった。球界再編で楽天球団が正式に誕生したのは04年11月2日。50年ぶりに生まれた新規参入球団は、わずか5年で悲願のAクラス入りを決めた。発足当初のメンバーは、オリックスと近鉄が合併した際の分配ドラフトで、合併球団側のプロテクトから漏れた選手が中心。戦力は明らかに見劣りし、年齢層も高かった。その中、オリックスから山崎武、ヤクルトから飯田ら他球団の戦力外選手を無償トレードなどでかき集めた。「寄せ集め集団」で臨んだ1年目。38勝97敗1分けで、首位と51・5ゲーム差の最下位だった。
 その翌年から指揮を執ったのが野村監督だった。過去に南海、ヤクルト、阪神でも監督を務めたが、就任当時はいずれも弱小チーム。「最下位ばかりに縁がある。よその球団の人から“監督、よくこの戦力で戦ってますね”ってよういわれるんや」。今でもそうボヤく一方で、入団した選手には「いい球団に来たよ」と言った。大学生・社会人出身に限れば、昨季までに獲得した全員が1軍の舞台を踏んだ。平等に才能を発揮する場を与えられたのは新興球団ならではの環境で、中日で出場わずか52試合だった鉄平が首位打者争いを快走。中村真、内村といった育成選手が戦力に成長を遂げた。走攻守がそろわなくても、一芸に秀でた選手を適材適所に配置し、勝利を積み重ねた。
 時には人格攻撃に及ぶこともあった歯にきぬ着せぬ発言。快く思わない選手も当然いたが、ある球団関係者は「他球団から不要とされた選手らは、周りの様子をうかがってばかりだった。辛口発言への反発心が、チームのまとまりを呼んだ」と指摘する。
 3年の任期を満了した昨年、契約を1年更新した。「おまけをもらった。集大成のシーズン」と位置づけた就任4年目の悲願達成。74歳の年に74勝でCS進出が決まり、「何かあるのかな。不思議だな。エルニーニョ。ノムニーニョか」とおどけた。
 「熱心な仙台ファンのために、1試合でも多く野球がしたい。それが唯一の恩返しだから」。1954年の南海入団から半世紀あまり。弱者を育て、強者を倒す。野村監督が、野球人生の最終章でその生きざまを体現する。

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2009年10月4日のニュース