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【二宮清純の唯我独論】ボクシングは新時代に――尚弥VS中谷の技術戦

[ 2026年5月6日 06:00 ]

<世界統一スーパーバンタム級TM 井上尚弥・中谷潤人>8回、視線を合わせる井上尚(左)と中谷(撮影・島崎 忠彦)
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 日本人として、初めてボクシング世界2階級(フライ・バンタム)を制覇したファイティング原田と、初めて重量級(統一スーパーウエルター)王座に就いた輪島功一――2人のレジェンドが、ともに1943年生まれだと知って驚く人は少なくない。

 無理もない。原田が、ポーン・キングピッチ(タイ)に連打の雨を降らせて世界フライ級王者となったのが62年10月。一方の輪島が、ローマ五輪銀メダリストの正統派王者カルメロ・ボッシ(イタリア)を奇想天外なテクニックで翻弄(ほんろう)し、ベルトを奪ったのが71年10月。原田は19歳、輪島は28歳での戴冠だった。原田は70年1月の試合を最後に引退。その頃輪島は、まだ日本タイトルを獲ったり獲られたりしていた。

 このように階級もキャリアも異なる両雄だが、原田は「食べるのに必死だった時代に生まれ育った僕らには相通ずるものがある」と語っていた。それはボクサーになる前の過酷な肉体労働だ。原田は家計を助けるため、中学時代は米穀店で働いた。一俵60キロの米俵を担ぎ、配達先を何往復もした。「腕ではなく腰で担ぐ。あれで足腰が鍛えられ、体のバランスも良くなった」。“狂った風車”と呼ばれた無尽蔵の連打は、かくして育まれた。

 輪島は、いくつかの職種を経て、東京の塩浜で住み込みの土木作業員として働いた。世は高度経済成長期である。つるはしで地面を砕き、スコップで土を掘り返す。日々の労働が屈強な肉体をつくりあげた。「皆さん、カエル跳びのことばかり言うけど、あの低い姿勢を保つのがどれだけ大変だったか。鍛え方が違うんだよ」

 日本、いや世界中が注目したモンスター対ビッグバンの大一番。一昨年、井上尚弥についてコメントを求めると、原田は「時代が違うよ」と言って明言を避けた。試合を見終えて、言葉を濁したのが分かる気がした。私たちが目にしたのは、情念も感傷も寄せ付けない、純粋にして高度な技術戦、心理戦だった。

 尚弥は、キッズボクシングの出身である。「スキルは小さいうちに磨け」。その方針のもとに大橋秀行はプロジェクトを主導した。「なぜ始めたか。僕の現役時代、外国の強い選手に勝つには、根性とスタミナしかなかった。だが、それには限界がある。本当に強い王者は、技術で相手を圧倒できる。技術の習得には時間がかかる。年を取ってからでは遅い」。モンスターは「一日にして成らず」である。

 中谷潤人も、ある意味ボクシングエリートだ。「中学出の叩き上げ」が世評だが、少し視点を変えてみよう。彼は15歳からロスで名トレーナー、ルディ・エルナンデスに師事した。「ホームシックにかかる間もない」ほど密度の濃いボクシング漬けの日々。「高校に進んでいたらできない経験だった」

 佳局の8ラウンド。互いの技術レベルを確認し合った2人は、申し合わせたかのように笑みを交わし合った。それは、ボクシング新時代を告げる、頬ずりしたくなるほど素敵なシーンだった。(スポーツライター)

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