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【浜田剛史 我が道28】再起戦10日前、引き際悟った 右膝気にせず踏み込むも…

[ 2026年1月29日 07:00 ]

引退会見で最後のファイティングポーズ
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 WBC世界ジュニアウエルター(現スーパーライト)級王座から陥落した試合後、オレは「納得がいかない」とハッキリと記者に言いました。あと2、3ラウンドあれば倒せたと。終わってないと思ったから、引退するつもりもなかった。

 インターバルでドクターが来て、右まぶたの傷をチェックするから、止血処置ができなかった。試合当日、アルレドンド側から「リングが小さい」とクレームがついて、測ったら本当に規定より小さかった。日本の世界戦ではいつも使っているリング。どうして小さいと分かったんですかね。リングを大きくした影響でキャンバスが所々、緩んでいた。

 まあ、余談です。

 それよりも、アルレドンドともう一度、やらなければならん。やれば勝てる。休養後、再起戦が決まりました。1988年(昭63)3月21日、統一世界ヘビー級王者マイク・タイソンVSトニー・タッブス(ともに米国)戦の前座で、会場は東京ドームでした。

 前年の87年11月、アルレドンドはロジャー・メイウェザー(米国)に6回TKO負けして王座を陥落していました。5階級制覇のフロイド・メイウェザーの叔父さんですね。オレの計画は、再起戦後にメイウェザーに勝って、アルレドンドとやるというものでした。

 モチベーションは、戻ってきてました。メイウェザーは、オレと1勝1敗のアルレドンドに勝ったチャンピオンです。でも、アルレドンドには、負けた事実が残っているから、もう一度、やらなければならない。

 調整は順調で、特に右膝の痛みがなかったんですね。じゃあ、今までセーブしていた右足の踏み込みを、セーブしないでやってみようと思った。オレの武器は、踏み込みのスピードですからね。

 サンドバッグに向かって思い切り、踏み込む。あれ、スピードが出ない。何回やっても同じ。膝が治れば、誰にも止められない踏み込みのスピードが出ると思っていた。でも、できてないじゃないか…。このとき、初めてこの思いがよぎった。

 これまでなのかな。

 勝負師が、そう感じるのは、引き際だと思ったんですね。一瞬でもよぎるというのは。オレの最も強いときはまだ、きていない。右膝が治ったときが最も強い。そう思っていたら、踏み込みができない。試合10日前。決断は一瞬でした。

 次の日でしたかな。本田明彦会長に電話で引退を伝えました。「あと1日、考えろ」と会長には言われましたが、考えは変わりませんでした。試合1週間前、再起戦は中止が発表されました。

 ファイトマネーは、1500万円。本田会長は、世界挑戦時と同額を用意してくれました。「再起戦をやってから考えてもいいんじゃないか」とも言ってくれましたが、オレはそんな器用な人間じゃありませんでした。

 ◇浜田 剛史(はまだ・つよし)1960年(昭35)11月29日生まれ、沖縄県出身の65歳。沖縄水産高で高校総体王者。帝拳ジムからプロデビューし、84年12月に日本、85年7月に東洋太平洋のライト級王座を獲得。86年7月にレネ・アルレドンド(メキシコ)を衝撃的な初回KOで破り、WBC世界スーパーライト級王座を獲得した。戦績は24戦21勝19KO2敗1無効試合。現在は帝拳ジム代表。

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