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力道山、猪木に闘魂注入!馬場との「BI砲」育てた日本プロレス界の父

[ 2020年5月4日 05:30 ]

1963年7月10日、アントニオ猪木(手前)ら若手に関節技を指導する力道山
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~力道山編~】昭和、平成の名場面をスポニチ本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。力道山編の最終回は1963年(昭38)7月10日、東京・渋谷のリキ・スポーツパレスで行われた公開練習。ジャイアント馬場やアントニオ猪木ら、のちに日本のプロレス界を引っ張っていく若手を、力道山が厳しく、かつ丁寧に直接指導する姿がありました。

練習を披露したのは
馬場、猪木のほか
大木金太郎、吉原功ら若手8人。
叱咤(しった)を飛ばしていた
力道山は自らリングに入り
猪木に関節技を直接指導。
ヘッドロックのかけ方が甘い
馬場を見つけると
「このオバケ野郎!
もっとウエートをかけて
タオルを絞るようにやるんだ」
と怒鳴りつけた。
従来はしかり飛ばすだけだったが
この日は仕上がりの良い吉原を
「やっぱり(ライトヘビー級の)
チャンピオンだ」
と称賛することも忘れなかった。
 
6月に敬子夫人と結婚披露宴を開き
世界一周ハネムーンから帰国したばかり。
精神的に余裕ができたとの指摘もあり
選手からも「先生は今までとは違う」
との声も聞かれた。

プロ野球から転身してきた
アスリートの馬場には
手を上げなかった半面
自身がブラジルから発掘してきた
猪木は付き人にして理不尽に殴るなど
同期入団でも扱い方を変えていた。

ある日、自宅へ呼び出された猪木は
同席していた大相撲の
高砂親方(元横綱・前田山)に
「いい顔をしているね」と言われ
力道山が「そうだろう?」と
誇らしげに笑うのを見た。
期待されていると初めて知り
救われたという。
力道山がその夜
赤坂のクラブで刺されるとは
夢にも思わなかった。

 ≪謎多き最期≫力道山は1963年12月8日夜、赤坂のナイトクラブで暴力団構成員に足を踏まれたとして口論となり、馬乗りになって殴打したところへ登山ナイフで脇腹を刺された。応急手当てを受けて帰宅したものの、翌9日に入院して手術。命に別条はないとみられたが、15日に容体が急変し、化膿(かのう)性腹膜炎のため39歳で亡くなった。死因として手術後の無謀な飲食や暗殺説も噂されたが、麻酔担当医が気管内挿管に失敗した窒息死とする意見もある。葬儀は20日に池上本門寺で行われ、参列者は5000人を超えた。

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