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理系大学院生ボクサー、坂本真宏が引退「悔いなくスッキリした気持ちに」

[ 2019年5月31日 17:32 ]

昨年12月、モルティ・ムザラネ(右、南アフリカ)のパンチを浴びる坂本真宏
Photo By 共同

 理系大学院生の異色プロボクサーで、元WBOアジアパシフィック・フライ級王者の坂本真宏(28=六島)が31日、現役引退することを明かした。

 「引退することに決めました。この前の試合が終わって、悔いなくスッキリした気持ちになりました」


 26日に母校の大阪市立大で、かつて保持したWBOアジアパシフィック・フライ級王座の決定戦に出場し、阪下優友(角海老宝石)に6回TKO負け。4回まで優勢だったものの、右目を腫らし、左目付近をカットされて逆襲を食らった。「先を考えず、ずっと目の前の試合に集中するスタイルで(キャリアを)積み重ねてきた。自分の感覚で(現役への未練など)引っかかるものがなかった」。完全燃焼したという。


 思い出の試合にはデビュー6戦目、15年12月20日の全日本フライ級新人王決勝(後楽園ホール)を挙げた。志賀弘康(石神井スポーツ)に3回KO勝ち。無敗のままジム入門時の目標だった全日本新人王に輝き、日本ランク入りした。


 「途中で追い詰められて苦しかったけど、左アッパーで倒したのはよく覚えています」


 泉北高時代にキックボクシングのジムに通ったことがきっかけで格闘技に目覚め、大阪市大入学後にボクシング部に入部。やや遅めの競技開始からプロでは順調にキャリアを積んだ。16年11月に、のちのWBO世界同級王者・木村翔(青木)に12回判定で敗れるまでデビュー8連勝。再起後3戦目にWBOアジアパシフィック同級王座を獲得した。


 母校である大阪市立大関係者をはじめ、周囲の協力を得て18年大みそかに世界初挑戦。日本初となる国公立大卒、現役大学院生の世界王者にはなれなかったが、海外で世界ベルトが懸かったリングに立った。「世界戦へ向けての練習がきつかったのも思い出です」。遠征費用調達など関係者の労苦を知るだけに、武市トレーナーと15キロのおもりを載せた自転車を押しながらの坂道ダッシュなど徹底的に体をいじめ抜いた。


 現役最後となった今月26日の再起戦は大阪市立大で初めて開催されたボクシング興行のメインイベント。ボクシング部OBらがリング設営をはじめ運営もバックアップしていた。


 坂本は16年4月から大阪市立大学大学院で機械物理系専攻材料物性工学研究室に籍を置く。現在、修士課程4年目で今年度中に修了しなければ「追い出される」状況だ。今後は研究に没頭し、来春には専攻を生かせる企業に就職してエンジニアを目指す。


 「ボクシングは若い時しかできない。デビュー当時に想像できなかったことを経験できた。ボクシングをやったことに後悔はありません。自分一人では何もできなかったと思うけど、たくさんの方々に応援していただいた。今後はエンジニアとして社会に少しでも貢献できる仕事がしたい」


 リングに上がれば接近戦でも負けん気を見せて激しく打ち合う。普段は理路整然とした受け答えで“理系大学院生”という肩書きが腑に落ちる。大きなギャップが魅力の一つだった個性派ボクサーがグローブを吊した。


 ○…六島ジムの枝川孝会長は「よく頑張ったと思う。そんなに才能もないのに“新人王を獲りたい”と言ってジムに入ってきた。それが叶って(坂本のボクサー人生)第1章は終わっていたのかもしれない」と、人情家らしい歯に衣(きぬ)着せぬ言葉でねぎらった。新人王獲得後も勝利を重ねて世界挑戦までこぎつけた奮闘ぶりに「いい経験ができたと思う。今後に生かしてほしい」と研究分野で再び世界に挑むことを期待した。


 ♤坂本 真宏(さかもと・まさひろ)1991年(平3)1月19日生まれ、大阪府堺市出身の28歳。泉北高時代は“帰宅部”。大阪市立大で競技を始め、アマ戦績は26勝11KO4敗。14年に大学院受験に失敗し浪人中にプロテスト合格。同年12月プロデビュー。17年12月にWBOアジアパシフィック・フライ級王座を決定戦で獲得(防衛1)。18年12月にマカオでIBF世界同級王者モルティ・ムザラネ(南ア)に10回終了TKO負け。身長1メートル64、右ボクサーファイター。

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