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「K1」と書いて――日本スーパーライト級タイトルマッチ

[ 2018年5月10日 10:00 ]

細川(中)はジムオーナーの鈴木正雄氏(右)に称えられる。左は鈴木真吾会長
Photo By スポニチ

 【中出健太郎の血まみれ生活】ボクシングの王座防衛回数を「V○」と表現するようになったのは、いつ頃からだろうか。

 参考までにWBA世界ライトフライ級王座「V13」の具志堅用高で過去のスポニチ紙面を調べると、「V6」までは記事にも見出しにも「V」の文字は見当たらない。初めて登場したのは1979年1月のリゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)戦で、記事及び写真説明に「“V7”」とある。「7度目の防衛」=「V7」とするには違和感があったのか、「“”(ツメ)付き」の表現だ。同年4月のアルフォンソ・ロペス(パナマ)戦では1面の見出しに「V8」とあるから、当時の日本新記録だった「V7」を機に“市民権”を得たのかもしれない。

 今月7日、後楽園ホールで日本スーパーライト級王者・細川バレンタイン(角海老宝石)が「V1」に成功した。だが、試合後の控室では「僕の場合は防衛するだけでも奇跡。V1じゃなくて、“奇跡のK”でK1、K2と書いてください」と話し、笑いを誘った。

 外資系金融会社勤務とボクシングを両立させ、昨年12月に4度目のタイトル挑戦で悲願のベルトをつかんだ現役日本王者最年長の37歳。挑戦者は2004年アテネ五輪ドミニカ共和国代表の輸入ボクサーで、KO率75%を誇るランキング1位のデスティノ・ジャパン(ピューマ渡久地)とあり、戦前の予想は王者が不利。負け方次第では、引退に追い込まれる可能性すらあった。

 だからこそ、この初防衛戦に懸けた。3月中旬に「思い立って」会社を退職。安定した収入を捨て、残り少ないボクサー人生を完全燃焼させる道を選んだ。「勝っても負けても、精いっぱいやらないと一生後悔すると思って。相当に馬鹿な決断と言われたけど、後がないというぐらい全てを投げ出して、好きなものをやってみたかった」。

 生活をボクシング一本に絞り、ロードワークは朝と晩の2回。従来は勤務後に疲れた体で行っていたジムワークも、午前と夜の一日2度に増やした。睡眠時間も8時間と倍増し、体調を整えたことで練習の質もアップした。「本当にいっぱい練習した。ダウンを10回取られても勝とうと思っていた」試合は4回、先にダウンを奪われながらも攻めに転じ、右フックでダウンを奪い返すと、7回に相打ちの右で挑戦者を豪快に沈めるTKO勝ち。「目や体で避けるのが得意で、ガードは苦手。今日も練習の成果が出てなかったけど、ダウンを取られたのでガードを上げたら、振り回してきた相手の力が弱まっていたのが分かった。これはいけるな、と。ダウンを取られてなかったら、踏み込む勇気はなかったかもしれない」。

 会場には辞めた会社の元同僚たちのほか、父の母国ナイジェリアから日本に戻った7歳から16歳のときまで生活の面倒を見てくれた、87歳の祖母フミ子さんも駆けつけた。王座奪取の際はフミ子さんをリングに上げて感謝を述べたが、「会社を辞めたこと、まだ言ってないんです。(退社の事実を記してある)パンフレットを見て驚いていると思うので、今日は会わずにスルーします」とおどけた。決断でも結果でも周囲を驚かせ続ける、奇跡の37歳。井上尚弥のいとこで、細川が「この階級最強」と認める日本ランキング2位の井上浩樹(大橋)が挑戦を希望しているが、「アイツが来ても大丈夫なように。また奇跡を起こせるように頑張ります」。それを“K2”と書くのは、ちょっと違和感があるけれど。(専門委員)

 ◆中出 健太郎(なかで・けんたろう)千葉県出身の51歳。スポニチ入社後はラグビー、サッカー、ボクシング、陸上、スキー、NBA、海外サッカーなどを担当。後楽園ホールのリングサイドの記者席で、飛んでくる血や水を浴びっぱなしの状態をコラムの題名とした。従来は木製の長いすだった後楽園の記者席が最近、1人ずつ座る折りたたみ式のいすに変わった。試合中に長いすの足が壊れ、レジェンド・矢尾板貞雄氏が尻もちをついたのがきっかけと思われる。

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2018年5月10日のニュース