車から降りてきて…「男長嶋、腹をかっさばいておわびします」 たった2人の目撃者

[ 2025年6月7日 03:00 ]

歴代担当記者回想 長嶋さんを追いかけて4

67年、優勝を決め川上監督を胴上げ。左側に長嶋さんの顔も見える

 巨人監督を解任されて1年がたった1981年秋。大洋(現DeNA)から監督要請された長嶋さんの去就がストーブリーグ最大の関心事となっていた。

 入社2年目でサッカーなどの一般スポーツを担当していた私は、田園調布の長嶋邸に毎朝張り付かされた。見張り要員である。

 ある日、早い時間に長嶋さんの愛車センチュリーが駐車場から出てきた。ハイヤーで追跡。中原街道に出る手前の住宅街でセンチュリーが止まり、長嶋さんが降りてきた。私も慌てて飛び出した。

 「君はどこの社だ?」

 憧れの人が目の前にいて、私に話しかけている。その瞳はブルーに見えた。

 「ス、スポニチです」

 長嶋さんは追いかけてきたもう一人の記者と私を交互に見ながら言った。

 「危ないからやめようよ。事故を起こしたら大変なことになるから。危ないから。追いかけるのはやめよう」

 そう言われても「はい」とは言えない。長嶋さんはこちらが困惑しているのを見透かしたように続けた。

 「これから人に会うけど会って君たちに迷惑を掛けるような人じゃない。もし迷惑を掛けることがあったら」

 そこまで言うと、歌舞伎役者のように見えを切った。右手を左の脇から右へ動かしながら――。

 「男長嶋、腹をかっさばいておわびします」

 瞳はブルーのままだった。

 長嶋さんは大洋の誘いを断って浪人を続け93年、巨人監督に復帰する。私が巨人を担当したのは82年から90年まで。全くかぶらなかったが、縁はあったように思う。

 小学6年生の67年10月7日、地元の岡山県営球場で巨人V3の胴上げに遭遇する。阪神戦は1―2で降雨コールド負けしたが、2位の中日が敗れて優勝決定。左翼席からグラウンドへ飛び降りて歓喜の輪に潜り込み、背番号3に近づいた。

 高校を卒業して上京した74年の10月14日には予備校の冬期講習申し込みの列を抜け出して後楽園球場へ走った。ダブルヘッダー250円の外野自由席で「我が巨人軍は永久に不滅です」に涙した。

 そしてこの世でたった2人しか見ていない大見え。訃報に接し、鮮明によみがえった。合掌。(82、85~90年巨人担当・永瀬 郷太郎)

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