松井秀喜氏 恩師・長嶋さんと無言の対面 NYから帰国し弔問

[ 2025年6月4日 06:26 ]

長嶋茂雄さん死去

午前5時前、長嶋茂雄さんの自宅を訪れた松井秀喜氏(撮影・吉田 剛)
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 元巨人松井秀喜氏(50)が4日、米ニューヨークから帰国、3日に89歳で亡くなった巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの自宅を弔問した。

 松井氏は4日午前4時過ぎに羽田空港に到着すると、その足で都内の長嶋さん宅へ。午前5時前、長嶋さんの次女三奈さんに出迎えられ、恩師と無言の対面をした。

 長嶋さんが手塩にかけて育ててきたのが松井氏だ。92年11月のドラフト会議。巨人監督に復帰したばかりの長嶋さんが4球団競合となった星稜(石川)の超高校級スラッガー・松井の当たりくじを引き当てた。右手でガッツポーズをつくり、本人に直接電話を入れた。声を聞いた途端、阪神入団を熱望していた18歳の表情が崩れた。「うれしい。雲の上の人だと思っていたから」。あっという間にハートをつかんだ。

 「4番千日計画」と称して1年目から鍛えた。球場、自宅、遠征先のホテルの部屋でも素振りをさせた。日本を代表する強打者になっても同じで、ヤンキース移籍後もニューヨーク滞在中のホテルの一室に呼び寄せて素振りをさせ、バットが空を切る音を聞いてアドバイスを送った。

 02年10月31日。巨人が日本一になった翌日にメジャー挑戦の意思を伝えられた。寂しそうな表情を浮かべたが「どうせ行くならヤンキースに行けよ」と言った。愛弟子も師匠の言葉通り、ピンストライプのユニホームに袖を通した。7年目の09年にはワールドシリーズ制覇に導き、日本人初のMVPに輝いた。

 日米通算507本塁打を記録。12年の引退会見では「現役時代の一番の思い出は、長嶋監督との素振りの時間」と即答した。04年に長嶋さんが脳梗塞で倒れた後も、何度も電話で励まされた。「いつまでも子供扱いで、褒められたことがない」と苦笑する愛弟子の引退の報に触れた時、長嶋さんはやっと「現代で最高のホームランバッターだった」と賛辞を贈った。

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