「伊藤拓郎と148」。歴史に名を刻んだ男はDeNAスクールで奮闘中!

[ 2025年6月2日 12:00 ]

DeNAのベイスボールスクールコーチで球団に復帰した伊藤拓郎氏(球団提供)
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 「伊藤拓郎と148」。この8文字に反応したファンは、かなりの「アマチュア野球通」だ。伊藤拓郎32歳、1児の父。今年からDeNAのベースボールスクールで、児童たちに野球指導を行っている。

 あれは09年の5月だった。記者は帝京1年生の伊藤氏と出会った。クリクリ眼の坊主頭。すぐに記者を覚えてくれて、そこから「伊藤拓郎番」が始まった。だがこのとき…、「ピカピカの1年生」が3カ月後に歴史に名を刻むとは、夢にも思わなかった。

 同年夏の甲子園3回戦、九州国際大付戦。伊藤氏は聖地のマウンドに立ち、「148キロ」を計測した。高校1年生夏の甲子園球速最速記録。球場はどよめき、記録は今も破られていない。

 そして、そこから右腕の「148キロの呪縛」が始まった。11年ドラフトでDeNAに9位で入団。新人年に1軍のマウンドに立ったが、2試合のみ。この頃には故障も抱えており、マウンドから140キロ後半に及ばない球速を見ることにおびえていた。

 昨月、記者は伊藤氏と会った。14年ぶりの再会。待ち合わせ場所に先に着き出迎えようと思ったが、本人は記者より早くその場所にいて一礼してきた。年配者への礼節をわきまえる社会人になっていた。

 話題は尽きず、「148」の思い出も盛り込まれた。プロとして長くユニホームを着たい思いは誰でも一緒。だが伊藤氏は「148」の十字架を背負い続け、投球フォームもメンタルも崩していった。

 14年に引退。独立・群馬を経由して社会人野球の新日鉄住金鹿島に18年に入社した。「僕、20年の都市対抗に出場して、そのときに“149キロ”が出たんですよ」。伊藤氏は声を弾ませた。記者はそのことを知らなかった。それもお構いなし。「そのとき、“呪縛から解放された”と思ったんです。今はもう、伊藤拓郎の148は過去のものです」。

 「伊藤拓郎と149」が叙情的に聞こえた。そのとき記者は安堵(あんど)した。16歳で甲子園のスターになりながら、プロでは芽がです。女手一つで育てあげた母・史美さんの不安も大きかっただろう。とはいえ目の前の男は過去に区切りをつけ前を向いている。

 今は未来のプロ野球選手を育てるために、児童たちと白球を追っている。子供たちはその男の記録など知らず、無邪気に「伊藤コーチ」とたわむれていることだろう。

 その光景を説明する伊藤氏の表情は穏やかだった。パパに「148」の呪縛はない。「子供たちに野球を教えるのって難しい。ここから将来のベイスターズの選手が誕生しないかな」と目を輝かせた。歴史に名を刻んだ男の第二、いや第三の人生。記者はその道をそっと応援していきたい。(DeNA担当 大木 穂高) 

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