【ラグビーW杯】SH流大 心が折れかけた時、優しく背中を押してくれた兄・大輔さん「逆境をぶち壊せ」

[ 2023年9月15日 04:30 ]

地元・福岡県久留米市に帰省した際、グローブを手にツーショットを撮った流大(右)と兄・大輔さん(大輔さん提供)
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 日本代表の家族、きょうだいを随時連載で取り上げる「One Family」。3回目は今大会限りで代表引退を表明しているSH流大(31=東京SG)の次兄で、プロ野球独立リーグでプレー経験のある大輔さん(34)だ。競技は違ってもアスリートの先輩として、昨夏に弟が病気で代表活動を辞退した際にかけた言葉とは――。1次リーグ第2戦のイングランド戦(17日、ニース)を控える中、弟へのエールを本紙に寄せた。

 厳しい兄がいたからこそ、今がある。3兄弟の次男である大輔さんは「三男なんで(両親から)甘やかされていた」という末っ子に対し、「小さい頃からスポーツ界の先輩後輩みたいな状態に、完全な上下関係」で接した。

 だが、時には弟が反発することもあったという。小学校時代、大輔さんに続き、流も野球を始めたが、大輔さんが主将を務めていたチームには加入せず、別のチームを選択した。大輔さんは「僕がキャプテンのチームは嫌だからって(別のチームを)選んだ」と笑う。二塁手だった流は結局、友人の誘いもあり、1年で野球をやめ、ラグビーへ転向。兄弟はそれぞれ違う競技で切磋琢磨(せっさたくま)するようになった。

 大輔さんはプロ野球独立リーグの四国アイランドリーグplus高知などで活躍し、流は帝京大を6連覇に導いて所属チームや日本代表でも主力の地位を確立。上下関係は、いつしかアスリートとして「お互いリスペクトする仲」(大輔さん)へと変化していった。

 相談にも乗ってきた。昨年6月の代表活動で流は共同主将に指名されたが、合宿開始早々に体調不良で離脱。内臓に異変が起き、10日間の入院を余儀なくされた。約1カ月間は運動も制限され、兄には「ラグビーをするどころじゃないかな」と本音を漏らしたこともあった。「“もういいかな”って心が折れているようにも見えた」と大輔さんは振り返る。その後、体調が回復しても、19年W杯に続く大舞台の目標すら見失いかけていたという。そんなどん底の弟に「駄目なら駄目でいい。(もう一度、代表入りへ)挑戦した方がいいんじゃないか」と優しく背中を押した。アスリートの“先輩”から言葉を受け、流は「もう一回、頑張るわ」と決意。昨秋、再び代表に招集された。

 昨年4月に「俺は次(W杯フランス大会)がラスト」といち早く、代表引退の意思を告げられた。副主将としてけん引する最後の代表活動。次戦は、10戦全敗のイングランドが相手と高い壁だが「弟はどんな逆境でもぶち壊してきた」と大輔さん。「かすかでも確実に前進!!ガンバレ流大!」と温かい言葉を贈った。あの時と同じように、弟なら逆境を乗り越えられると信じている。

 ◇流 大(ながれ・ゆたか)1992年(平4)9月4日生まれ、福岡県久留米市出身の31歳。9歳で競技を始め、熊本・荒尾高(現岱志高)、帝京大を経て15年にサントリー(現東京SG)入り。少年野球の経験もあり、子供の頃の憧れは野球選手。趣味はゴルフ。日本代表通算35キャップ。1メートル66、75キロ。

 ≪今大会初戦はゲーム主将≫
 流は主力として全5試合に先発した前回19年大会に続き、2度目の出場となった今回も先発の座を勝ち取っている。この4年間、所属の東京SGでも後輩の斎藤が台頭。6月の千葉・浦安合宿からは福田も含めた3人で競い「負けたくない。ポジション争いで勝つことがテーマ」と火花を散らしてきた。迎えた今大会初戦のチリ戦は先発。左ふくらはぎの負傷で欠場した姫野に代わってゲーム主将も担い、巧みな配球術で白星発進に貢献した。

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