中村匠吾“4強食い”東京五輪代表 一発勝負MGCで優勝「暑さ感じなかった」本番もイケる!

[ 2019年9月16日 05:30 ]

マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)男子 ( 2019年9月15日    明治神宮外苑発着 )

MGCを1位でゴールする中村。来年の東京五輪代表に内定した(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ

 20年東京五輪の日本代表選考会として行われ、男子は中村匠吾(27=富士通)が2時間11分28秒で優勝。初の五輪代表に決まった。スタート直後から前日本記録保持者の設楽悠太(27=ホンダ)が独走態勢を築いたが、終盤に失速。37キロ付近で後続の集団が追い抜くと、39キロすぎの急坂で中村がペースを上げ後続を突き放した。出場30人中、持ちタイムでは8番目ながら五輪とほぼ同じコースと気温で行われたレースを制したことで、本番に期待を抱かせる結果となった。

 男子マラソン界の“熱男”が史上まれに見るデッドヒートを制した。26歳最後の日にマラソン初優勝を飾って初の五輪代表を勝ち取った中村は「自分自身に一番の誕生日プレゼント。一発勝負ということもあってプレッシャーもあった。優勝できてうれしい」と頬を緩めた。

 「暑くなってくれ」――。陣営の思いが天に届いたかのように、曇りの天気予報が一変。快晴で高温多湿のレースになった。暑いレースを得意にしている中村にとっては天の恵み。「今日のコンディションは暑さを感じることはなかった」と冷静に勝負どころを探った。

 午前8時50分に26・5度あった気温はフィニッシュ時の午前11時4分には28・8度にまで上がった。前半に飛びだした設楽は暑さで失速。37キロ過ぎに追い抜くと、日本記録保持者の大迫が体力を消耗するのを横目に一気にスパートして主役の座を奪った。

 5月に右脚を負傷。7月下旬には左膝を痛めて約10日間、走れない時期もあった。富士通の福嶋監督も「ぎりぎりだった」と認める調整だったが、予想以上の気温が味方した。発汗量が少ない体質で暑さには強い。気温30度の車内でもあえてクーラーを止めさせてチームメートを困惑させたこともある。初マラソンの18年びわ湖毎日も、3月にしては15度と気温が高い中で日本人1位と適性は見せていた。

 中村の東京五輪への道は大学3年時から始まっていた。13年に東京開催が決まったことで、駒大の恩師・大八木弘明監督(61)から「マラソンで一緒に目指さないか」と声を掛けられた。中村は「非常にうれしかった。監督と目指せば行けるんじゃないかと思った」と述懐する。大学卒業後も大八木監督に師事し、駒大を拠点に練習を重ねてきた。

 駒大出身者としては初のマラソンでの五輪代表。大八木監督にとって選手を五輪に送り込むことは悲願だったという。「中村に合う練習をしようと、考えを変えた。指導者として引き出しが増えた」。文字通り二人三脚で五輪切符をつかみ取った。

 来年の東京五輪でも30度前後の気温が予想される。「今回はベストのパフォーマンスが出せた。東京五輪に向けて頑張っていきたい」。藤色をハートに宿した中村が来年8月9日の決戦を見据えた。 

 【中村匠吾(なかむら・しょうご)】
 ☆生まれ 1992年(平4)9月16日生まれ、三重県四日市市出身の27歳
 ☆サイズ 1メートル72、55キロ
 ☆経歴 上野工高(現・伊賀白鳳高)から駒大に進学
 ☆大学時代 駒大では大学3大駅伝で区間賞4つを獲得。13年にユニバーシアードのハーフマラソンで銅メダルを獲得した
 ☆主なマラソン戦績 18年びわ湖毎日マラソン7位(日本人1位)18年ベルリンマラソン4位
 ☆自己記録 マラソン2時間8分16秒、1万メートル28分5秒79
 ☆趣味 ショッピング
 ☆好きな食べ物 焼き肉

続きを表示

この記事のフォト

2019年9月16日のニュース