栃ノ心 親方の「あと10年、頑張れ」胸に繊細な体調管理

[ 2018年5月31日 10:30 ]

ジョージア出身初 遅咲き大関・栃ノ心(下)

栃飛龍(手前)ら部屋の力士に担がれ、ジョージアの国旗を手に喜ぶ栃ノ心(撮影・郡司 修)
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 豪快な取り口とは対照的に、栃ノ心は体のメンテナンスに繊細だ。転機があった。

 13年名古屋場所5日目の徳勝龍戦。勝った相撲で右膝前十字じん帯、同内側側副じん帯を断裂した。初めて休場し、翌場所からは3場所連続で全休。西幕下55枚目まで落ちた。手術して入院すると、1カ月で体重が20キロも増えた。減量が必要になり、しばらく主食は「キャベツの千切りやリンゴ」。こうして30キロの減量に成功したものの、足腰に力が入らず、稽古では同部屋の栃煌山、碧山に歯が立たない。相撲をやめたいと思った。

 師匠の春日野親方に相談すると、答えは「あと10年、頑張れ」。11年10月には門限破りを理由に同親方から体罰を受け、問題化したこともある。厳しい師匠からの激励は何よりの薬になった。「あの一言がなければ、やめていた」と振り返る。

 あと10年。この言葉を胸に体調管理に力を入れることになった。このケガ以降、場所中は禁酒。退院後からは膝関節の炎症を抑える高価なドイツ製サプリメントも愛用し、むくみ防止用ソックスを睡眠時にはいている。場所中の朝稽古は、しっかり汗をかく。

 栃ノ心の入門直後の兄弟子で、現在は青森県の飲食店で働く棟方弘光さん(40)は「痛みには強かった」と振り返る。大関昇進を決めた夏場所も右肩を痛めながら13勝。26戦目で初めて勝った白鵬戦の朝だけ、痛み止めの注射を打った。

 大ケガと言葉の壁を乗り越え、新入幕から所要60場所での新大関は、2代目増位山と並び最も遅咲きとなった。それでも師匠に言われた「あと10年」まで5年ある。全盛期はこれからだ。=終わり=(特別取材班)

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