照ノ富士 初優勝で大関昇進、平成生まれで初 23歳歓喜の涙

[ 2015年5月25日 05:30 ]

白鵬の取組をモニターで観戦した照ノ富士は自身の優勝を確認し、付け人の駿馬(手前)に抱きつき感極まる

大相撲夏場所千秋楽

(5月24日 両国国技館)
 新世代の大関誕生だ!モンゴル出身の関脇・照ノ富士(23=伊勢ケ浜部屋)が12勝3敗で初優勝を飾り、大関昇進を確実なものにした。相撲協会の審判部はこの日午前の会議で優勝なら大関に推薦することを決定。その後の土俵で照ノ富士は碧山を寄り切り、3敗で並んでいた横綱・白鵬が日馬富士に敗れたため優勝が決まった。平成生まれの優勝、大関はいずれも初めて。3場所連続3回目の敢闘賞も受賞した。27日の名古屋場所番付編成会議と理事会で正式に三役2場所通過の“大関特進”が決まる。
【千秋楽取組結果】

 支度部屋のテレビで白鵬の負けを見届けると、熱いものがこみ上げてきた。照ノ富士は付け人と抱き合い、タオルを目に当てて涙を拭う。いずれも歴代3位の初土俵から所要25場所、新入幕から所要8場所での初優勝に加え、大関昇進だ。「(優勝決定戦で)もう一度勝つつもりで待ってました。夢みたい。まだ信じられない」。流ちょうに日本語を操る男は感無量で言葉が続かなかった。

 白鵬と3敗で並んで迎えた本割。「今までで一番緊張した」。それでも落ち着いてすぐに右を差し、左上手を引いた。自分の得意の形をつくると一気の寄り。碧山に隙を与えない完勝で、土俵下で待機していた白鵬にプレッシャーをかけた。

 17歳で始めた柔道とモンゴル相撲で頭角を現した。白鵬の父、ムンフバトさんに認められて、18歳の09年、逸ノ城と一緒の飛行機で来日。鳥取城北高を卒業後、19歳で間垣部屋に入門した時には「久々のモンゴルの大器」と期待された。だが、すぐに芽は出なかった。当時の間垣親方(元横綱・若乃花)は体調不良で十分な指導を受けられず、力士も減って稽古相手がいない。ちゃんこも腹いっぱい食べさせてもらえず、他の部屋のモンゴル人力士を頼って出稽古先で食事をしなければいけない状況だった。

 2年前に部屋が閉鎖となると、横綱・日馬富士ら関取4人が在籍する伊勢ケ浜部屋に移籍。これが転機になった。伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)の厳しい指導と恵まれた稽古相手。人一倍強い向上心も好転し、番付は幕下から十両、幕内とぐんぐん上がった。

 今年2月末、関脇になった春場所前の会見で「今年中に大関になる」と宣言した。先に脚光を浴びた遠藤や逸ノ城ら同世代に対し「誰が先に上がるか」とライバル心をむき出しにエネルギーに変えてきた。今場所前にはSNSに「鶴竜休場で、(同部屋の)日馬富士とは対戦しない。大関に上がるの楽だ」と書き込まれた。「本当腹が立った」。そんな怒りも力になった。

 この日の朝稽古後、土俵脇に「叶(かなう)」の文字を書いて、日本人の若い衆にこう説明した。「叶という漢字は口にプラス(+)。プラスのことを話していると夢は叶うんだよ」。「大関昇進」と公言してわずか3カ月。モンゴルの怪物はいとも簡単に夢を叶えてみせた。

 ◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお)本名ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれの23歳。10年末に間垣部屋に入門し、11年夏場所でデビュー。同部屋閉鎖で、13年4月に伊勢ケ浜部屋に移籍。13年秋場所で新十両、14年春場所で新入幕。しこ名は伊勢ケ浜部屋の横綱・照国、師匠・伊勢ケ浜親方の現役時代のしこ名、旭富士から命名。得意は右四つと寄り。1メートル92、178キロ。

 ▽大関昇進の条件 「三役で3場所合計33勝以上」が目安とされる。明文化された基準ではなくこの目安を満たさずに昇進することもある。三役2場所での昇進は51年春場所後の吉葉山以来で年6場所制が定着した58年以降では初。また、最近では稀勢の里、豪栄道が32勝で昇進している。

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