長野後のルール変更から始まった低迷 “純国産”で逆襲

[ 2014年2月19日 05:30 ]

銅メダル獲得に喜ぶ(右から)葛西、伊東、竹内、清水

ソチ五輪ジャンプ男子団体 日本銅メダル

(2月17日)
 ジャンプ競技のスキーの長さが「身長+80センチ」から「身長の146%」に変更された長野五輪終了後の98~99年シーズンから、日本の低迷期は始まったとされる。スキーが長ければ(1)助走スピードが出る(2)空中で大きな浮力を得る、という利点がある。長身選手がその操作に慣れてきた99~00年以降、厳しい戦いを強いられたのは事実だ。

 ここで日本は海外の指導者の手を借りる方向へと進む。02年ソルトレークシティー五輪までは、長野までコーチを務めたスロベニア人のバシャ・バイツ氏がヘッドコーチに着任。06年トリノ、10年バンクーバーの指揮官にはフィンランド人のカリ・ユリアンティラ氏を招へいした。同氏は伝説のジャンパー、ニッカネンを育てた名指導者。だが、80年代から90年代初頭の技術が主で、踏み切り時のパワーを求める指導法は小柄な日本勢にマッチしなかった。

 バンクーバー後は指導体制を一新。選手の兄貴分として信頼が厚かった横川朝治氏をヘッドコーチ、葛西より1歳年下の宮平秀治氏をコーチに迎えた。2人は決して選手に無理強いをしない“調整型”が特徴だが、一方で「日本の良さ」を追求。ビデオを見せながら本人が納得するまで話す粘り強さもあった。ジャンプ週間前から調子が下降気味だった伊東の助走姿勢についてアドバイス。国内調整期間中も所属先の斉藤浩哉・雪印メグミルク監督と連絡を取り合い復調に結びつけたのが好例だった。

 ◆ジャンプルール変更

 ☆98~99年シーズン スキー板の長さが「身長+80センチ以下」から「身長の146%以下」に変更。また、スーツの生地厚さが8ミリ以下から5ミリ以下に、ゆとり幅は胸囲プラス8センチに制限された。

 ☆03~04年シーズン スーツのゆとり幅を胸囲プラス8センチから6センチに制限。素材も制約。

 ☆04~05年シーズン BMI(肥満度)ルールが導入され「スーツとブーツを含めた体重÷身長の2乗=BMI」の数値が基準値(20・5)より少なければ、履ける板の長さを身長の144%、142%などと段階的に制限。

 ☆10~11年シーズン スキー板の長さを身長の最大146%から145%に制限。

 ☆11~12年シーズン BMIの基準値を20・5から21に変更。

 ☆12~13年シーズン スーツのゆとり幅を胸囲プラス6センチから0センチに制限。その後2センチに緩和。

 ☆13~14年シーズン スーツのゆとり幅を袖口に限り2センチから4センチに緩和。

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2014年2月19日のニュース