目黒学院 トンガパワーで22年ぶり花園1勝 タタフなぎ倒し2トライ

[ 2013年12月31日 05:30 ]

<札幌山の手・目黒学院>前半7分、相手をかわし右中間にトライを決める目黒学院・タタフ

第93回全国高校ラグビー大会2回戦 目黒学院47―22札幌山の手

(12月30日 花園ラグビー場)
 シード13校が登場して2回戦16試合が行われ、優勝5度の古豪で22年ぶり17回目の出場となったBシードの目黒学院(東京第1)は札幌山の手(南北海道)に47―22で勝利した。トンガ出身のNo・8テビタ・タタフ(2年)が2トライを挙げるなど攻守で活躍。同じくBシードの日川(山梨)は大相撲十両の大喜鵬将大(24=宮城野部屋)を兄に持つSH山口泰弘主将(3年)の活躍もあり、34―5で日本航空石川(石川)を下した。

 行く手を阻む者はなぎ倒すのみ。タタフが恐るべき破壊力を見せたのは前半7分だ。ゴール前の5メートルスクラムで、SH地福(3年)とタタフがポジションをチェンジ。スクラムからのボールを直接受けると、波状タックルを浴びせる相手選手を次々となぎ倒してインゴールに飛び込んだ。

 「まだまだ力が足りないです。ディフェンスもうまくいかなかった」。1メートル83、106キロ、ベンチプレスでは130キロを上げる大男は試合後、小声で反省の弁を続けた。しかし一発で仕留めるタックル、ボールを持ってのラン、全てが超高校級のパフォーマンス。CTB古川主将(3年)は「彼は真面目。練習でも妥協しないので、引っ張られています」と話した。

 サモア諸島で生まれ、トンガのババウ島で育った9人きょうだいの長男。昨年2月にSOモエアキオラ(2年)とともに来日し、目黒学院中に転入した。来日当初はご飯に牛乳と砂糖をかけて食べていた。苦労も多かったが、今では流ちょうな日本語を使いこなし、生活にも慣れた。昨季は1年生ながら高校日本代表に選ばれた。「将来はトンガではなく、日本代表に入りたい。日本のテクニカルなラグビーが好き」。里心を両親との国際電話で癒やしながら、ラグビーに打ち込んでいる。

 目黒学院にとっては22年ぶりの花園勝利。今年10月に79歳で亡くなった故梅木恒明監督の厳しい指導の下、79年度までに5度優勝の黄金期を築いたが、その後は低迷が続いた。初優勝した69年度のゲームキャプテンだった幡鎌(はたかま)孝彦監督(62)は「当時はとにかく試合、試合だった。年間400試合くらいやろうとしていた」という梅木流の強化術を独自解釈。「接点スキルやタックル練習など試合のエッセンスを反復した。根っこは一緒」と形を変えて梅木イズムを継承し、古豪復活を実現した。

 持ち味の前に出るディフェンスが徹底できず、この日は22失点と課題も残ったが、幡鎌監督は「修正できる。頂点を目指したい」と言い切る。復活物語はまだまだ続く。

 ◆テビタ・タタフ 1996年1月2日、サモア諸島生まれ、トンガ育ちの17歳。10歳からラグビーを始め、中学時代はトンガカレッジ・アテレでプレー。12年2月に来日し、目黒学院中3年に編入。同年4月に目黒学院高に進学した。1年生だった昨年度は高校日本代表に選出。家族は両親と弟2人、妹6人。愛称はT(ティー)で、好きな食べ物は焼き肉。1メートル83、106キロ。

 ▽目黒学院ラグビー部 1959年(昭34)に創部(当時の校名は目黒)。61年に就任した梅木恒明監督は厳しい指導で部員を鍛え上げ、全国高校ラグビー初出場の67年度にいきなり準優勝。翌68年度も準優勝すると、幡鎌監督が3年でゲームキャプテンを務めた69年度に初優勝。以後、79年度までに5度の全国制覇を果たした。主な出身者に元日本代表の水谷真氏、松尾雄治氏らがいる。

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2013年12月31日のニュース