美香 涙の米初V!絶体絶命から石でボール跳ねパーセーブ

[ 2012年8月21日 06:00 ]

トロフィーを手に笑顔の宮里美香

USLPGAツアー セーフウェー・クラシック最終日

(8月19日 オレゴン州ノースプレーンズ パンプキンリッジGC=6611ヤード、パー72)
 涙の初勝利だ。首位で出た宮里美香(22=NTTぷらら)が70で回り通算13アンダーとし、米ツアー参戦4年目で初優勝を飾った。日本人では岡本綾子や宮里藍らに続き12人目。日本開催を除けば日本人6人目の快挙。米ツアー出場資格を持っての22歳10カ月での優勝は09年エビアン・マスターズを24歳1カ月で制した宮里藍を抜き日本人最年少。賞金ランキングは8位に浮上。20日付の世界ランキングでは前週19位から10位に上がり自身初のベスト10入りを果たした。

 わずか20センチのウイニングパットでもラインを読んだ。「短いのに手が震えて、達成感でいっぱいで、信じられないのと、うれしいのでごちゃまぜになった」。涙をこらえて沈めると、宮里藍、上田がミネラルウオーターを持って駆け寄った。歓喜のウオーターシャワーの中で宮里美が泣いた。

 一時は3打のリードを奪いながら、10番で40ホールぶりのボギーを叩き、2位の柳簫然(ユ・ソヨン)と1打差に。迎えた11番パー3は、うねるようにクリーク(小川)が流れる難ホール。第1打は打った瞬間に右へ飛び出した。

 「うわっ。絶対(クリークに)入る」。ところが、ボールはクリークの石で跳ねると、グリーン手前のラフへ。第2打はピンに寄らなかったが、8メートルをねじ込んだ。神がかり的なパーセーブに「神様がついてるのかなと思った。あれが大きかった」。17番のバーディーで後続を突き放した。

 米ツアー4年目の今季は自分の使いたいクラブを使うためクラブ契約をフリーにして出直した。しかし序盤は気持ちが空回り。3戦連続予選落ちの屈辱も味わった。結果を求めるよりも自分のゴルフを貫く。気持ちを切り替えた6月のショップライト・クラシックで3位に食い込んでから4戦連続トップ10入り。ようやく壁を突き破った。

 フロリダ州のアカデミーのコーチ陣にも支えられた。メンタルコーチに「自分を100%信じて打つこと」と言われ6月以降は手袋に「100」と書いて戦った。試合がなかった2週前、優勝するイメージを何度も思い描き、パットの構えで右に向く癖を矯正するため一連の動作を見直した。

 初日から1度も首位を譲らない完全V。米ツアー出場資格を持っての22歳10カ月での優勝は、藍の24歳1カ月を抜いて日本人最年少となった。「これがまた自信になる。どんどん勝てるように頑張ります」。今後はメジャー制覇にも期待がかかる。22歳がさらなる飛躍を誓った。

 ≪宮里美香あらかると≫

 ☆生まれとサイズ 1989年(平元)10月10日、沖縄県那覇市生まれの22歳。家族は両親と兄2人。1メートル60、55キロ。血液型B。

 ☆ゴルフ歴 父・隆さんの影響で小2から始め、小4時の初ラウンドで84をマーク。琉球GCのキャディーマスター野村守氏の指導を受け、松島中3年時の04年日本女子アマで史上最年少14歳8カ月で優勝。

 ☆アマ時代 日本ジュニアは04、06、07年と3度優勝。興南高2年で06年世界ジュニア制覇。04~08年はナショナルチームの中核を担う。

 ☆プロ転向 同い年でジュニア時代のライバル曽雅?が08年全米女子プロで優勝したのを見て日本ツアーを飛び越えての米挑戦を決意。同年12月の予選会で12位となった翌日にプロ宣言。09年米ツアー参戦。

 ☆プロ初優勝 10年日本女子オープン(大利根CC)に大会最少スコアで優勝。日本女子ツアー初の平成生まれの優勝者に。日本ツアーにメンバー登録すれば1年間のシード権を得られたが、義務試合数などが発生するため米ツアーを優先して辞退した。

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2012年8月21日のニュース