史上初平幕決定戦制した!37歳旭天鵬 涙の最年長初V

[ 2012年5月21日 06:00 ]

インタビュー中に感極まり涙する旭天鵬

大相撲夏場所千秋楽

(5月20日 両国国技館)
 旭天鵬(37=友綱部屋)が涙の初Vを飾った。本割で関脇・豪栄道(26=境川部屋)を寄り切って3敗を守ると、対戦相手の琴欧洲(29=佐渡ケ嶽部屋)が休場し不戦勝となった栃煌山(25=春日野部屋)との史上初の平幕同士による優勝決定戦をはたき込みで制した。37歳8カ月での初優勝は史上最年長。平幕優勝は01年秋場所の琴光喜以来11年ぶり。記録ずくめの戴冠となった。
【取組結果 星取表】

 西の花道を引き揚げる途中、旭天鵬の目からは大粒の涙があふれ出した。「一瞬でいろいろなことを思い出してしまった。やめなくてよかったし、信じられなかった」。優勝制度が定められた1909年以降最年長となる37歳8カ月で初優勝したベテランは目を真っ赤にしながら話した。

 琴欧洲が右足負傷で休場したため、栃煌山が不戦勝で3敗キープ。勝たなければ優勝がなくなる状況で本割の豪栄道戦を迎えた。左を差され、苦しい体勢になりながらも右上手を引いて逆襲し寄り切り。史上初の平幕同士の優勝決定戦では「ここまできたらやるしかない。何も考えずにいった」と立ち合いから左上手をのぞかせ、栃煌山が出てきたところをはたき込んだ。

 「20年間相撲をやってきて、本当によかった」。長い道のりだった。92年に入門したが、厳しい稽古と角界のしきたりになじめず部屋を2度も逃げ出した。根は真面目。「それでも自分で決めた道だから」と再び部屋に戻り稽古を積んできた。

 転機が2度あった。入門から10年以上がたち相撲への愛情は深まり、将来角界に残ることを考え04年に日本国籍を取得。今ではスポーツ功労賞を受賞するほどモンゴル国内でも評価されているが、当時は「裏切り者」と非難された。それでも決意は揺るがなかった。

 2度目は今年3月の春場所前。大島親方(当時)の定年に伴い、大島部屋が閉鎖となるため、跡継ぎとなるかどうかで悩み一時は引退するかで心が揺れたが翻意。同じ一門の友綱部屋に移籍し新たなスタートを切った。慣れない環境だが、取り組む姿勢は変わらなかった。毎朝稽古場に下り申し合いをこなすだけでなく、入念に準備運動を繰り返した。歴代最多の通算1047勝を誇る部屋付の浅香山親方(元大関・魁皇)が「どの関取よりも長く稽古場にいる。あと5年は取れるよ。俺の記録も超えられるよ」と感心するほどだった。

 モンゴル出身力士50回目の優勝。初優勝が区切りの数字となり「俺のは棚ぼた」と笑った。06年初場所の栃東以来37場所ぶりの日本人力士の優勝でもある。快挙を成し遂げた37歳にも心残りがある。「亡くなったお父さんにも見せたかった」。23日からモンゴルに戻り、3年前に病気で亡くなった父・ニャムジャブさんの墓前に優勝を報告する。ゆっくりと歩んできた相撲人生。初めての歓喜の味はじっくりと味わう。

 【旭天鵬Vアラカルト】

 ☆最年長初優勝 37歳8カ月は1909年個人優勝制度制定以降では豊国(1929年3月場所)の35歳6カ月を抜いて1位。また初土俵から所要121場所、新入幕から所要86場所は1909年以降では貴闘力(00年春場所)の103場所、58場所を抜いて最も遅い。

 ☆高齢優勝 1909年以降では太刀山の38歳9カ月、37歳9カ月に次いで3番目。年6場所制となった58年以降では千代の富士の35歳5カ月を抜いて最年長。

 ☆平幕優勝 01年秋場所の琴光喜が東前頭2枚目で初優勝(13勝2敗)して以来11年ぶり28回目。また平幕同士の優勝決定戦は史上初めて。

 ☆モンゴル出身力士50回目の優勝 02年九州場所で朝青龍が初優勝。以後は白鵬、日馬富士と続き、旭天鵬で4人目。外国出身では10人目。

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