「万理一空」琴奨菊、宮本武蔵の境地でライバル斬る

[ 2011年9月29日 06:00 ]

大関昇進を伝えられ、口上を述べる琴奨菊(中)。右は佐渡ヶ嶽親方、左はおかみ・真千子さん

 日本相撲協会は28日、東京・両国国技館で九州場所(11月13日初日、福岡国際センター)の番付編成会議と理事会を開き、関脇・琴奨菊(27=佐渡ケ嶽部屋)の大関昇進を満場一致で決めた。相撲協会は千葉県松戸市の佐渡ケ嶽部屋に二所ノ関理事(元関脇・金剛)らを使者として派遣し昇進を伝達。新大関は口上で、剣豪・宮本武蔵の著書「五輪書」を参考にして「万理一空(ばんりいっくう)」の言葉を引用して決意を示した。

 使者の二所ノ関理事と峰崎審判員(元幕内・三杉磯)から大関昇進を伝えられると、琴奨菊はよどみなく口上を述べた。「謹んでお受け致します。大関の地位を汚さぬよう、万理一空の境地を求めて日々努力、精進致します」

 「万理一空」は宮本武蔵の著書「五輪書」に由来する。後援者から贈られた「五輪書」を読んだ琴奨菊は「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」という言葉に引かれた。宮本武蔵は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と説いており、厳しい稽古を重ねることが重要という意味だ。しかし琴奨菊は技術、体力だけでなく精神面の向上を重んじていたため、後援者の勧めもあり同じ「五輪書」の中の「万理一空」を選んだ。

 琴奨菊は「いろいろな意味に取れるが、自分としては目指す先は一つであり、目標を見失わずに努力すること(の大切さ)を考えた。稽古の先に光がある。メンタルを強くし、努力と心が交わったところに大関があったとの意味です」と説明した。自分の心構えにぴったりだと感じた。相撲を始めるきっかけをつくってくれた亡き祖父・菊次一男さんの「一」が含まれているのも気に入った。前日27日に口上内容をまとめ、所用で日帰りした福岡への往復の機内で練習。「相撲と一緒で考えすぎても仕方がない」と腹をくくって臨んだ。

 日本人大関誕生は4年ぶり。協会幹部の期待は大きい。伝達直後の乾杯のあいさつで二所ノ関理事は「番付には上があります。横綱昇進を目指してほしい」と伝達式進行中としては異例といえる激励の言葉を送り、「来場所は稀勢の里(の大関昇進)で、来年はどっちかが横綱(昇進)だな」と日本人力士の躍進で相撲人気が回復することを願った。師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇・琴ノ若)も「まだ一つ上(横綱)がある。ここからが始まり」と話した。

 琴奨菊も自覚している。「稀勢の里もすぐに上がってくるはず。自分らが頑張って相撲界を盛り上げたい」。ライバルとの切磋琢磨(せっさたくま)を誓った。故郷で行われる九州場所が大関として臨む初めての本場所。「優勝できるよう頑張りたい」。入門直後に「横綱になりたい」と言った。その頂点まであと一つ。決意の固さは土俵の上で示すつもりだ。

 ◆琴奨菊 和弘(ことしょうぎく・かずひろ=本名・菊次一弘)1984年(昭59)1月30日、福岡県柳川市出身の27歳。小3で相撲を始め、高知・明徳義塾中、同高へ進学。国体など高校7冠を獲得し佐渡ケ嶽部屋に入門。02年初場所初土俵。05年初場所新入幕。07年春場所新関脇。殊勲賞3回、技能賞4回。得意は左四つ、寄り。1メートル79、174キロ。

 ▽万理一空(ばんりいっくう) 江戸時代の剣豪・宮本武蔵が説いた思想。兵法などについて書かれた「兵法三十五箇条」では、最後に「万理一空の所、書きあらわしがたく候へば、おのずから御工夫なさるべきものなり」と記述。解釈を各自に委ねているが、全ての物事は一つの空の下で起こっていると冷静に捉えること、と解釈できる。したがって、目の前の出来事に動じることなく、目標に向けて努力する、という意味で使われることが多い。

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