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前鹿島監督・岩政大樹がベトナムに渡った理由とは…“新米監督”が再始動

[ 2024年2月18日 07:30 ]

ハノイFCの監督に就任した岩政大樹
Photo By スポニチ

 日本から約3500キロ以上離れたベトナムの首都ハノイ。人口約840万のベトナム第2の都市に、昨年12月までJ1鹿島の監督を務めた岩政大樹(42)がいた。国内で指導者を続ける道もあったが、14年にタイのクラブでプレーして以来となる海外生活を選び、ベトナムの地で指導者としてのキャリアを選んだ。志半ばで愛するクラブを離れることになった男は、東南アジアの地で何を思うのか――。2月18日のベトナムリーグの再開を前に、率直な思いを聞いた。

 ――ハノイFC監督就任の経緯は?

 「鹿島を離れることが12月頭に決まっていました。ただ、鹿島からすぐにハノイFCに決めたというよりも、やっぱり国内で、というのが頭にあったのは事実ですね。

 ハノイFCは昨年9月に監督を解任してから正式監督を置かない状況でシーズンを戦っていました。日本人監督を探していたようで、鹿島を退団した僕もリストに載ったようです。

 具体的には12月30日くらいにクラブ幹部とミーティングをしたいと連絡があり、年明けに行った。1月11日に来てくれという話になりました。

 最終的にはハノイというクラブがベトナム国内で非常に強いクラブであることと、監督という、とりあえず試してみようということができない重要な役職のオファーをくれたということであれば受けてみようかなと思いました」

 ――日本で監督業を続けるという選択肢はなかったのか?

 「12月でフリーになるのは現在のJリーグでは難しい状況でしたね。そこから監督を探し始めたらそもそも枠がないです。12月の1カ月間、色々なクラブを探して、オンラインでミーティングをしたクラブもありました。育成年代や大学での指導、Jクラブだったら別の仕事でという話もありました。なかなか折り合いが付くところがなかったのも現状です。現場以外の仕事というのも僕に合っているかもしれないと傾いた時期もあった。揺れていた1カ月間でしたね。

 その中でハノイFCから具体的な話が来ました。国内というものにこだわって考える思考自体がつまらない思考になっていると思っていた時期とも重なって、それならもう行ってみようかというところがありました」

 ――監督業を離れて休むということは考えなかった?

 「鹿島では色々と大変だったから少し休んだ方が良いんじゃないかと言ってくれる人もいましたが、僕の中ではしっくりこなかった。鹿島の監督を41歳でやらせてもらいましたけど、1年半しか監督業ができなかった。監督としての色んなことがようやく見え始めたころだったので、来年はこういうことをやろうというのがあって、自分のプレーモデルが見えてきた段階で休むというのはあんまりなかったです。

 指導者になって、鹿島の監督をやらせてもらって、ようやくこういうスタイルを提示していけばこういうサッカーになりそうだと。それを確認しなければいけない。ようやく分かってきたサッカーが結局分からないまま終わってしまう。頭の中でどれだけ巡らせても現場で選手を動かさないと分からない。いまはまずやらなきゃいけないという感覚です」

 ――ハノイFCを指導して感じたことは?

 「ここ10年くらいは一番タイトルを獲ってきたクラブですが、他クラブも力を付けてきたので今年はなかなか力を発揮できていないチームの現状だったようです。12月に打診があって、1カ月で今季の全ての試合を見ました。技術的に高い選手がかなりいると思いましたし、実際に現場で見ると思った以上にレベルが高いというのが感想です。

 鹿島の最後に見えてきたものをここで試しています。外国人監督なので通訳を通じてしか話せません。より明確に、簡単に伝えることを考えて指導しましたが、ここまでは順調ですよ」

 ――リーグの中断期間で引き継いだことに難しさは感じるか?

 「1カ月の準備期間があるのはシーズン前も変わらない。足りないとは感じませんでした。今年は監督不在のような状態でやっていたので、逆にやりやすい印象がある。真っ白なキャンバスに自分が色を塗れるような感覚で指導できる。指導者としては面白いし、楽しいし、試されるし。キャンバスからつくっていくような感じですね」

 ――タイでプレーして以来の東南アジアサッカー。変化は感じるか?

 「タイでプレーしたのは10年前ですけど、あの1年間があったのは大きかったですね。日本人の感覚では不備と映ってしまうことがベトナムでは何度もあります。こんなこともしてくれていないのかと。でも、彼らからしたら悪気なんてないんです。怒っても仕方ない。

 10年前は鹿島の何でも与えられる環境でしかプレーしていなかった選手がタイに行きましたので、いろいろと受け入れられない感覚ですごくイライラした1年でしたけど、今はそうだろうなぁとか、やっぱりそうだったか、みたいな感じで受け取っています。“免疫”がついていて良かったなと思っています(笑い)」

 ――どんなサッカーを目指すのか?

 「ポゼッション、ビルドアップのトレーニングはしていないかもしれません。その先ですね、最初からやっているのは相手のDFラインをいかに破るか。相手を自分たちの意図通りに崩して得点を奪うかのトレーニングばかりしています。

 選手たちはものすごく意欲的でものすごく素直です。ポゼッションしてどう崩すのかとか、相手をどういう動きで外すのかということをあまり伝えられてこなかっただろうし、守ってカウンターというスタイルがこの国の主流だったみたいです。

 自分の提示するサッカーに発見があるのか、若い選手がやる気を出して、練習の内容が全く変わってきている。すごく面白いですよ。アジア杯に7人の代表選手が行っていたのですが、彼らが合流してきて、その選手たちにあらためてやり方を伝えている。その選手を加えると結構なレベルになると思います。

 タイ以上にボールを動かす技術はあるんですけど、目的を持ってポゼッションの判断をしてどうゴールにつなげるかというところまでチーム作りをしてきたことがないように感じました。そこにトライできるのは彼らにとっても楽しいんじゃないでしょうか」

 ――ベトナムリーグは2月18日に再開する。ここまでの親善試合などを踏まえた手応えは?

 「ベトナム国内のチームやインドネシアのバリユナイテッドなどと試合をしましたね。残り3分の1の崩し方からチームづくりを始めようとして、幸いなことに真っ白なキャンバスがそこにあって、選手たちも積極的にやってくれていることで思った以上に仮説の検証がポジティブな方向に出ています。相手を敵陣に押し込んでずっとプレーするというプレーモデルからチームをつくっているんですけど、それが2、3週間の指導である程度の形にできるのが驚きで発見でした

 バリ戦は色んな組み合わせを試したので立ち上がりでバタバタして失点しましたが、攻め続けようと話をして、ずっと相手陣地でサッカーをしてました。6、7割は敵陣でポゼッションしましたよ」

 ――鹿島での反省点をベトナムで生かす?

 「鹿島では明確な自分のプレーモデルに対して選手を取ってきてチームづくりができたわけではありませんでした。そうなると今いる選手たちで一番勝ち点が取れる戦い方を自分の中で模索して導き出したもので昨年は戦いました。明確な形を持って崩しに行くよりも、少しカオスな状況の中で相手も巻き込んでいくような形。それでないと去年の段階でマリノスや川崎を追い越せるとは思えなかったので、そのやり方にしました。

 ただ、ハノイFCの場合は鹿島での試行錯誤を踏まえてですけど、整理し直したものをハノイの選手に当てはめてみるとすごくフィットしました。集めたわけじゃないのでたまたまです、これは出会いですよね。それをやれる選手と、他チームとの力関係と、選手の特長を踏まえると、僕が整理がついている崩し方がやりやすいチームという感じですね」

 ――将来的にはベトナムのサッカーに影響を与えたい?

 「僕は選手たちのマインドセットしてあげようと思っている。日本もW杯でドイツ、スペインに勝ったことでいろんなマインドセットが行われたと思いますけど、あれが起こるか起こらないかだけの問題。彼らができないわけはない。

 守ってカウンターでタイトルを獲りましたもいいですけど、その国のサッカーは変わらない。僕は信念を持って鹿島で何年かかけてそこまで行きたかったがやりきれなかった。ハノイFCではそれができる選手とクラブの後押しがある。それを推し進めて、去れといわれるまでやり続けようとは思っています。

 ポテンシャルはあるクラブです。ちょっと前の日本のように、より強いクラブ、国を目指すために身体能力で優れているわけではない国民性をどう生かして強みにしていくのか、そういうサッカーをつくっていくフェーズに入っている。国自体も取り組もうとしていると聞いています。クラブチームで実現できると、国のサッカーは変わると思います。そういうクラブが出てくると一気にサッカーが変わる。そこに、このチームでトライしたいと思っています」

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