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【アジア杯】林陵平氏が読み解くベトナム戦 ハマらなかったハイプレス 4―3―3変更で問題解決

[ 2024年1月16日 04:44 ]

ミドルゾーンプレス
Photo By スポニチ

 サッカーアジア杯で3大会ぶり5度目の優勝を狙う1次リーグD組の日本は14日、ベトナムを4―2で下し白星発進した。前半まさかの2失点で一時リードを許す展開も、最後は力の差を見せて逆転勝ち。現役時代はFWとして柏でJ1制覇も経験し、現在は理論派の解説者としても活躍する東大サッカー部前監督の林陵平氏(37)がスポニチに初登場。鋭い観点と独自目線で試合を徹底分析してもらった。

 先制したものの、前半15、32分に立て続けにセットプレーで失点するなど苦しんだ序盤。その原因を、林氏は「システム構造上のかみ合わせの問題だった」とズバリ指摘した。

 まずは守備面。3―4―2―1布陣で、自陣からボールをつないできたベトナムに対し、日本は4―4―2で前線から激しくボールを奪いにいくハイプレスを仕掛けた。だが、両システムの特徴から「ベトナムが位置的優位をつくりやすい」構造だったと見る。

 例えば、3バック対2トップで数的有利をつくられた場面で、3バックのサイドでフリーになった選手にボールが出た場合。日本はサイドハーフの伊東、中村がボールを中に回させる形で対応した。

 だが「その“外切り”がはまらず、ウイングバックにパスを届けられてしまっていた」上、相手ウイングバックにサイドバック(菅原と伊藤)がアプローチしても距離が遠くなってしまう現象が発生。これこそがベトナムの位置的優位だった。

 攻撃面も同様だ。5―4―1でブロックをつくられた場合、それを崩すには「DFと中盤の2ライン間を広げ、3バックの両脇をつり出す」ことが必須という。だが前半は、ライン間でプレーしたのはトップ下の南野のみ。そのことで相手は守備の的を絞りやすく、南野がボールをあまり受けられなくなったことで「再現性のあるチャンスがなかなかつくれなかった」と分析する。

 ただ、そこは多くの経験を積んだ海外組が大半を占める森保ジャパン。「前半終盤から後半にかけて修正できたのは良かった」と林氏も指摘するように、抜群の修正力で徐々に状況を打開してみせた。

 守備では前半途中からプレスの位置を中盤に下げるミドルプレスに変更したことに加え、後半から4―3―3へシステム変更。3バックの真ん中の選手を1トップの上田、3バックの両脇は伊東、中村の両ウイング、さらに相手の2ボランチに対しては守田、南野の両インサイドハーフが対応。マークがより明確になり、プレスの位置もミドルゾーンになったことで「相手のウイングバックにボールが出たとき(菅原、伊藤の)サイドバックも連動しやすくなった」という。

 攻撃は前半終盤から3バックの両脇をつり出す動きでチャンスをつくった。1―2の前半44分に南野が決めた同点弾はまさにその形。遠藤がDFと中盤の間のスペースに入り込み、相手3バックの右をつり出し、空いたスペースに走り込んだ南野がゴールを決めた。後半は4―3―3に変更し、守田と南野を2ライン間にとどまらせることで、ボールを引き出し「攻撃もよりスムーズになった」と指摘する。

 リードを許すまさかの展開にも、冷静に対処し、逆転勝利を引き寄せた森保ジャパン。今後は相手が強くなればなるほど、より厳しい展開が想定される。林氏は「セットプレーからの2失点は課題」と強調した上で「初戦の難しさがあった中で、修正できたのはポジティブな要素」と前向きに分析した。

 ◇林 陵平(はやし・りょうへい)1986年(昭61)9月8日生まれ、東京都八王子市出身の37歳。東京Vの下部組織出身で、明大を経て09年にトップ昇格。10年に柏へ移籍し、同年にJ2優勝、翌年にJ1制覇を経験。その後は山形、水戸、町田、群馬など主にJ2でプレーし、20年に現役引退。引退後は指導者と解説業をこなし、21~23年、東大ア式蹴球部(サッカー部)の監督を務めた。今年S級コーチ養成講習会を受講予定。1メートル86、80キロ。利き足は左。

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