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Jリーガーからアマチュアの世界へ異例の転身 DF小林祐三が切り開く新しいプロ引退後の道

[ 2021年2月13日 08:30 ]

クリアソン新宿の新体制発表会で抱負を語る小林
Photo By スポニチ

 プロサッカー選手を引退しても、現役は続ける。一見、風変わりな選択をした選手がいる。

 「パイオニアを気取るつもりは全然ないです。でも、こういう選択肢が取られてこなかったのは事実。道しるべ程度にはなればいいかな、とは思いますけど」

 2月11日に行われたクリアソン新宿の新体制発表会の壇上で、51の背番号が入った紫色のユニホームを着たDF小林祐三(35)は、柔らかい笑みを浮かべていた。

 静岡学園高から04年にプロ入りして以降、柏、横浜、鳥栖に所属した計17年間で出場した試合はJリーグ通算435試合。一握りしか生き残れない第一線で昨年12月まで戦った選手が今季の新天地に選んだのは、JFL昇格を目指す関東1部のクラブだ。

 「恐らくこのクラブがなかったら、辞めていたと思います、サッカーを。自分が新しくチャレンジする場と納得する組織と出合えたというのは、本当に幸せなこと」

 本当の引退は先に取っておき、小林は心機一転、プロを離れてサッカー選手を続けている。

 東京都新宿区に活動拠点を置くクリアソン新宿は、05年にサークルを引退した大学4年生が集うコミュニティとして誕生した。現在はJ1、J2、J3、JFLの下、5部に値する関東1部に所属する。1部初参戦の昨季は10チーム中5位。2季目の今季は悲願のJFL昇格を目指して戦う

 メンバーには大学時代にサッカーサークルに入っていた人から、小林のように元Jリーガーの実力者まで多様な顔ぶれがそろう。それぞれが選手以外に本業を持つ。プロのように「契約」はない。シーズン終了後に来季もプレーを続けるか、各自で結論を出す。

 小林は株式会社Criacao(クリアソン)のクラブ事業部とキャリア事業部の一員として企業の採用サポートなどを行い、給料を得る。裏方仕事だが、要望や機会があればプロとして積んだ経験を伝えて業務に生かすこともある。名刺は横浜時代の後輩、MF喜田拓也(26)から贈られたケースに入れている。

 東京都が緊急事態宣言下の現在、日中はアポイントメントがない限り自宅でテレワークし、平日は週に3日、夕方以降に練習する。来月7日の東京カップ1回戦(天皇杯東京予選)を皮切りに、いよいよ公式戦も始まる。「プロの時とは違った生活をしている。でも、凄く楽しい」と言う。

 「何でサッカーを続けるのか」。アマチュアの世界に飛び込む決断をしたとき、小林は改めて考えるようになったという。今はサッカーが「ピッチ内外で新しい価値の創出につながっているという実感があるから」、続けていて楽しい。「ビジネスとサッカー両面で(支えてくれる人々に)返していく。その一連のサイクルは、プロのサッカー選手ではできなかったもの」。プロを離れたからこそ広がった幅があった。

 背番号は51。プロでは一貫して13を付けたが、小学生のときに最初にもらった背番号を選んだ。「プロからアマチュアになりましたけど、元々はみんなアマチュアだったわけで。初心に帰って、サッカーをどういう気持ちでやっていたのかを思い出しながら前に進んでいきたいなという気持ちから51番にしました」。原点回帰の思いをユニホームに込めた。

 プロスポーツの世界では勝利が第一。「そこに目を向けなくなった瞬間、スポーツというものが破綻する。そこから逃げるつもりはない」。だからJFL昇格を目指すクリアソン新宿でも、勝負に徹する気持ちはもちろん強い。

 一方で、小林はプロ生活を続けながらずっと、「そこ(勝利)にどうやって向かっていくか」のプロセスを大事にしたいとも思い続けていた。周囲にプロサッカー選手を引退する決断を伝えたとき、いろいろな人から「面白い」、「小林祐三らしい」という言葉を掛けられた。

 「自分がどういう風にサッカーをしてきたのかというのを、プロ選手は見せられていないと思っていたんですけど、同僚や信頼している人たちに“らしい”と言ってもらえると、自分のサッカーはそういう風に映っていたんだなと思って、嬉しかったですね」

 プロ生活の最後の時期は自身の中で折り合いがつかず、苦しさもあったという。それでも勝敗だけではない、大切にした過程は、見ている人には伝わっていた。転身への前向きな後押しとなった。

 年齢の壁が存在する以上、プロサッカー選手はいつかは第一線から退く。指導者、解説者、クラブスタッフ、はたまた全くの異業種。選択肢は人それぞれだ。カテゴリーを下げてプロとして現役を続ける選手もいる。そして小林のように別の職業に就きながらアマチュアとして現役を続ける選択肢もある。新しい生き方を晴れやかな表情で語る姿を見たこの日、プロ引退後の将来に不安を覚える誰かがいれば、明かりとなるように思った。 (記者コラム 波多野 詩菜)

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